2009年08月02日

聖市夜話(第40話) 正錨の夢 (その2)

著 : 森 栄(海兵63期)

 「朝顔」着底海岸の近くに掃海部隊がいて、その隊長は旧知の萩原旻四氏(海兵60期)であった。 その特別の厚意によって内火艇を出してもらって「朝顔」に横付けしたが、上甲板以下は水中に没していて、私の 「死に場処」 であった艦橋が水面上にポックリ出ていた。

 私は狂気のように懐かしい階段を駆け上がり、ガランとなった艦橋に入ったが、既に取り外せるものはことごとく取り去られていた。

 「形見を!形見を!」 と私は心に叫んで手当たり次第に手を触れたが、何も外せる物はなかった。 内火艇を待たせている私の気は急いだ。 最後に艦橋後方左舷の魚雷戦発令所 (艦橋休憩室) に入った。

 いつも両足を折った私を休ませてくれたソファー、その上に約4つの真鍮の舷窓、私はすばやく舷窓の螺子を回してみたが、どれも止め金がしてあって抜けない。 私の心は急いで次々に回した。

 最後の1個が止め金が脱落していて抜け、遂に私の手中に納まった。 私は歓喜した。 そしてこの1個だけに止め金がなかったことは、決して偶然とは思えなかった。 あたかも解体を待つ最後の「朝顔」が私に唯一の形見を贈ってくれたように感じた。

 この舷窓の螺子が今自宅の応接間の飾戸棚にある 「朝顔の御神体」 である。 それは真鍮の燦然たる輝きと、艦齢22年の間毎日磨かれた角々の丸味を示しており、童顔の若き水雷科員の日課手人の毎日を物語っているかのようである。

asagao_goshintai_s.jpg
(朝顔御神体図)

 このあと体力も回復してまず行動したのは下関の水産会社であった。 漁業実習のため97トン底曳綱漁船に乗って懐かしの東シナ海に出漁し、荒天下に操業中、眼前200メートルに漁業保護中の米駆逐艦が漂泊してきて、相手の艦長はあたかも私を見下ろすかのように感じた。

 その後不在地主を続けていた私の原籍地の農家は、家邸まで買収されそうになったので、母と戦病療養中の弟(和夫)(海兵71期)を佐賀市に残して、私は妻子4名を連れて原籍地多久に入った。

 多久は南の駅からも北の駅からも約1里ある山の中の寒村で、どちらに出るにも峠を越きねばならなかった。 私は近くの炭鉱の崖崩しの土方に出たり、炭鉱住宅建設の現場監督に出世したり、これらを卒業して家庭刃物の卸兼行商をやって現金収入の道を辛うじて立てたが、家邸の周辺の畑は狭く (0.2ヘクタール)、主な畑と水田は小作人が返してくれず、農地改革を断行した片山内閣を恨んだ。
(続く)

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/31004805
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック

ケノーベルからリンクのご案内(2009/08/03 09:03)
Excerpt: 佐賀市エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。
Weblog: ケノーベル エージェント
Tracked: 2009-08-03 09:04