2009年07月29日

聖市夜話(第39話) 鉾をおさめて(その8)

著 : 森 栄(海兵63期)

 対共産軍の上流の配備に就いていた某艦では、一部の缶管が損傷し残留中の日本側機関員からは至急材料の手配が電報で要請されてきたが、日本側司令部 (上海連絡部) としては既に全部の艦艇を中国側に引渡したあとであるので、中国側司令部に手配を考慮してもらうよりはかに道はなかった。

 そして同艦の日本機関員は将来の最悪の状態を予想し、あれこれと不吉な心配はつのるばかりであったが、これに対し中国側艦長、機関長たちは

 「揚子江の流れは上海の方に流れている。 機械が使えなくなったら長江の流れにまかせよう。 余り心配するな。」

  と説得したそうである。

 また某艦の旧乗員から、「中国乗員の入浴時間は別々にするよう中国側幹部に交渉されたい」 と要請の電報がきた。 それまでは中日側混浴であった。 この実情を調べてみたら思いも寄らぬ両者の生活習慣、衛生思想の相違によるものであった。

 また某艦では中日乗員の居住区間の所持品の盗難事件が頻発して、親善友好の線からもまた蒋総統の訓示の線からも程遠い空気となった艦もでてきた。

 このほか思いも寄らぬ多くの事件があり、おそくまで残留させられた旧乗員の苦労は恐らく終戦後の中支方面の最高であったであろう。

 某日江南 (?) 横付中の砲艦に、中国語のできる赤木参謀と私は、残留乗員の撤退催促に出かけた。 私達2人は艦長室に座って、赤木参謀は初め冷静に理を立てて説き出した。

 この艦長は既に予定日を2回も一方的に延期していたが、またも言を左右にして撤退日を約束してくれない。 遂に怒った赤木参謀は 「この嘘つきめ!」(?) と怒鳴ったようであった。 私はその語気の鋭さに吃驚して中国艦長の反応を見た。

 ガバと椅子から立ち上がった艦長は腰の拳銃をまず探したが、幸いになかった。 急いで壁の呼び鈴を押した。 最高の険悪さが狭い艦長室に溢れた。

 座ったまま微動だにしない赤木参謀は 「撃つなら撃て!」 といわんばかりの強い気迫であった。 幸いに呼び鈴も不達に終わったらしく剣付き鉄砲の番兵も駆けつけてこなかった。

 2回の失敗で艦長の気迫が弱り、少しずつ態度が軟化し、最後には約1週間後には全部の残留員 (日本乗員) を退艦させることを約したので私たちは同艦より去ったが、帰り道で私は赤木参謀が残留員を思う心の真剣さに強く感銘し、また今日の現場を残留員に見せてやりたいと思った。

 司令部に帰ってからこの砲艦の撤退予定日を訂正しなから、「また延期するのでないか」 と従来どおり信用はできなかったが、驚くべし! この約束は約束どおりキチンと実行され、赤木参謀の交渉は見事に成功したのであった。
(続く)

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/30919185
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック