2009年07月28日

聖市夜話(第39話) 鉾をおさめて(その7)

著 : 森 栄(海兵63期)

 さて陸上の接収とともに海上部隊の接収が各艦艇ごとに行われたが、当時背後に共産軍の近迫があったためか、大型の砲艦は揚子江の各地に分散配備のまま各艦個別に行われたので、陸上の接収に比べはるかに複雑困難で長期を要した。

 もしも全艦艇を上海にでも集め、係留のまま一挙に明け渡してしまえば迅速容易であったであろうが、背後に迫る共産軍のほかに、中国海軍側の人事の準備も大きな理由であったかもしれず、乗員の交代は中国側の着任あり次第少しずつ日本側が退艦するという、あたかも日本海軍同志の内輪のやり方そっくりの要領であった。

 確かにこの頃の中国海軍は人集めにさぞ大変であったであろう。 ある日ある会議で少佐参謀が顔を出したが、会議後ある日本人は 「彼はたしかに長江筋の汽船会社の事務員だった」 と語った。

 また某艦から、「機関長3人着任す、いかがすべきや」 という面白い電報が来た。 私達はこの3人の機関長を、重慶海軍出身、和平海軍出身、地方海軍閥出身に想像することが常識のようであったが、この3人はそのうち日が経つにつれ自然に1人となって落ち着いた。

 新旧乗員の間の引継ぎがまた大変であった。 その典型は機械室であって、私も上海の某艦の引継ぎの現場に立会ったが、旧乗員は森司令官の方針に基づき、東洋和平を守る東洋一の海軍を残すべく張り切って引継ぎ用の操式教範を作り、まず新乗員組の前で模範を示す、終わると詳細説明して新乗員にやらせるという段取りであったが、新乗員たちは1人減り2人減りして、いつの間にか旧乗員だけの独り芝居になってしまって、「何んのためにやっているのか」 分からなくなるのであった。

 各艦の残留旧乗員は還送 (日本引き揚げ) も始まったと聞けば、1日も早く引継ぎを終わって上海に集結し、引き揚げ順序を待つ身になりたかった。

 ところが新艦長は、着任して操艦に自信ができると旧艦長はじめ艦橋員、甲板員、主計科員、看護科員などの退艦を許すが、こと機関科員、電信員となるとなかなか退艦させてくれない。 これはあと艦の運航と上海との通信系が絶たれることを恐れるからであって、有能な新乗員が来なければいつまでも退艦させてくれない。

 こうなると、中国旗を掲げた一つの艦に、中国人の居住区と日本人の居住区ができ、両国民の思想、習慣、知識、技術などの相違は思わない大小の事件を引き起こした。

 旧乗員はこれらの状況を電報で私達の司令部に訴える通しか残されていないのに、中国の艦長は自分に不利な電報は打たせたくない。

 このようにして当初は友好親善のうちに始められて行った引継ぎも、日が経つほど両者の間は険悪になって行くのであった。

 私達司令部でも、このような事態は予想もされないことであったので解決策に心を痛めたが、一方中国側でも機関員、電信員などの要員をそう簡単に補充できるような情勢でもなく、また艦艇を基地に横付けしてしまうことのできるような平和な情勢でもなかったようであった。
(続く)

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