2009年07月27日

聖市夜話(第39話) 鉾をおさめて(その6)

著 : 森 栄(海兵63期)

 11月9日の第1使のあとの還送は11月12月中しばらく途絶え、12月27日になってようやく第2便が出発し、更に1月10日の第3便からが軌道に乗ったようであった。

 私は海軍側の連絡参謀として日本側の副領事・陸軍暁部隊少佐参謀とともに、中国陸軍船舶部隊少佐参謀が迎えにくるトラックに乗り、早朝上海を出発して乗船所である 「ジューコン」 埠頭に着き、同日の還送船を見送ってから再び上海市に夕刻帰るのが還送日の日課となったが、この埠頭の監理は米陸軍船舶部隊の某大尉以下が担当していた。

 還送船は日本及び米国の艦船からなっていたが、日本海軍の生き残りの艦艇を訪ねてみると旧知の船長が多く、これらを通じて終戦直後の日本の様子を聞けることが楽しみであった。

 しかし一般乗組員の服装は悪く、態度も粗暴で、下駄ばきで鉄甲板の上を歩き回るのでその騒音もやかましく、かつて世界3大海軍の一つと謳われた帝国海軍も、一朝にして海賊まがいの地方水軍に落ちぶれたかのように感じた。

 しかし祖国は一面焼け野ケ原になって多くの衣類・靴なども焼失してしまったであろうと想像するとき、これら乗員の服装態度がいかにお粗末なものであろうとも、こうやって次々に迎えにきてくれるだけでも私たちは感謝しなければならないことと思った。

 そして日本・台湾・韓国にそれぞれ帰国して行く乗船者の隊伍を見ていると、終戦まで同じ日本人として戦ってきたこれら3種類の隊伍が、今や従来のあらゆる統制から解放され、それぞれの民族の裸の 「むき出し」 の性格を現し、新しい統制のもとに 「乗船」 という一つの団体行動をとるにしても、各民族の固有性格が出て私達に強い教訓を毎日見せ続けたのであった。

 その日の乗船も終わり各船の出港を見送り、私達は桟橋の大きな角材に腰をおろして故郷を語った。

 日本陸軍暁部隊連絡 ( 少佐) 参謀をいつも英語通訳として補佐しているT少尉は、いつも私のよい話相手であったが、彼は東京外語 (葡語) を出て渡伯し、伯国婦人と結婚し、戦争直前日本に帰り従軍し、立派に戦い抜いた人であって、彼は日本よりもはるかにずっと遠いブラジルの地に思いを馳せていた。

 そして私はブラジルだけが葡語で、他の中南米各国が全部スペイン語であることも初めて知った。 また上海付近にはポルトガル人が案外沢山いることを彼は教えてくれ、近くこの実演を私達に見せてくれることになった。

 某日西欧系労働者的数名を乗せたトラックが桟橋に入ってきた。 T少尉は 「あれは確かポルトガル人ですよ」 と言って、素早くトラックの前に躍り出て、私達にとっては皆目分からない言葉で第1声をトラックに浴びせた。

 けげんな顔の運転手と労働者はたちまち相好を崩して車から降りてきて彼の全周を取り巻き、喜々として語り合った。 私達はこの光景をみて彼が英語のほかに葡語にも長じていることを知り尊敬の念を一層深めた。

 戦争に初めて敗れた私達にとって、とりあえず将来必要なことは外国語を使いこなすことだと考えられた当時であったから、彼の存在は私たちの心を明るくするものであった。

(原注) : このT氏は現在リオ市に健在で、お互いに近く30余年振りの再会の日を楽しみにしている。


(続く)

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