2009年07月23日

聖市夜話(第39話) 鉾をおさめて(その3)

著 : 森 栄(海兵63期)

 そして上海に米第9艦隊が入港してきた頃、米軍から矢のように催促されたのは米軍捕虜の処置に関する調査報告であって、これは私達にとって直に戦犯問題に繋がるものとして重要であった。

 例えば終戦直前上海上空に進入した小型機を撃墜したことがあり、その搭乗員K中尉は落下傘で降下したが全身大火傷で我が方の病院に入院加療中遂に死亡した事件に関しても、早速矢のような催促がきた。

 上空進入から撃墜地点、救難状況、入院中の患者日誌、死亡状況、遺品目録まで詳細な報告書類を早急に作成して提出を要する。

 こちらとしては全身火傷で降下時既に重態であったので当たり前と思ってはいたが、先方米側としては全身火傷にも疑いを抱いており、入院加療にも疑いがあり、本当は健康体で虐殺されたのではないかという疑いを強く持たれているかのようであった。

 この時司令官は迅速に各種書類の作成集め方を命じた後、私室に入って何かゴソゴソと作業を始めた。 少し経ってから司令官は縦長の白布に、達筆の毛筆で日本式、中国式に 「鳴呼忠勇K中尉之霊」 と大書し、これを中心として日本式祭壇を作らせた。

 私は司令官に、「東洋式が米軍に通じましょうか?」 と尋ねたら、司令官は次のように答えた。

 「戦死者を弔い、その功績を讃える心はどこの民族でも同じである。 国のために勇敢に戦って遂に戦死したK中尉の英霊を弔った私達の気持を示すには、日本式であろうと一向に構わん。 調査団の人達にも私達の誠意が必ず通ずるであろう。」

 そしてこの我が方の報告は、司令官談のごとく問題なく調査団の了解するところとなった。 またもや私は司令官の変転自在な、この場合むしろユーモラスにも思われる措置に教えられるところが少なくなかった。
(続く)

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