2009年06月27日

聖市夜話(第36話) 機雷の関門を突破(その3)

著 : 森 栄(海兵63期)

 私は火中の栗を拾うようなこの冒険を開始するに当たって、まず敵情(関門海峡最狭部の現状)を確かめようと思い、5月16日から19日の間の某日先任将校、航海長などを同伴し、司令部の車を借りて門司埼から部埼までの水路を陸上より見下ろすために視察に出掛けた。

 そして南水道辺りで動くに動かれず錨泊している輸送艦などの一群をよく見ることができ、私が現場で感じたことは次の三つであった。

1. 最狭部で水深深く流速の強い所は大自然による掃海済みと見て良かろう。

2. 門司埼から部埼の間で錨泊艦船群の海面は、その錨鎖振れ回り圏内なら船体による掃海済みと見なして通過できよう。

3. 前項1と2以外の海面は波打ち際になるべく近い所が波打ち際の高波と干満の差による掃海済みと見なして通過できよう。


 この頃は、従来の敵潜出没海面の代わりに敵機雷敷設海面という海図ができていて、航海長が丹念に電報により記入していたが、周防灘の中央航路で姫島北方には「満州丸」の悲しい沈没位置が記入されていた。

 そして周防灘全般の敵敷設の傾向は中央航路以北の海面に密であり、以南は稀薄、かつ姫島南方は水深が深いので、私は部埼通過後は九州東岸寄りに通過し姫島南方を突破してやろうと考えた。

 いよいよ決行の5月20日朝、懐かしの門司を後にして出港したが、海峡を通る大型船は「朝顔」の他1隻とてなく、関門海峡は依然として航行禁止中であって、解除される見込みも立っていなかった。

 私は機関長に命じて運転に必要な最小限度の配員を機関部に配置し、その他の者はなるべく上甲板上に上げて触雷に備えた。

 門司港内より門司埼を通り、最狭最深部は案の定何事もなく突破、右に折れて南水道に入る。 私は最も近い錨泊中の輸送艦に向けた。

 相手の当直下士官は咄嗟に気を利かせて、「左舷横付け用意!」 を令して回るのが見えた。 私は艦橋から手を振って 「横付けはしない通過するだけだ」 と叫んだ。 両艦の舷側の距離約15メートル、上甲板以上に上がっていた「朝顔」乗員は、私の最後の離れ業を固唾を飲んで眺めた。

 次々に錨泊艦の舷側スレスレを通り、ついに錨泊艦がいなくなり、右側に打ち上げる水際と前方に最後の難所である部埼が高くに見えた。

 私は敢然として水際に向け、水際約30〜50メートルに突っ込み、波打ち際と平行に進んだが、この時は三亜海岸座礁の苦い体験が急に強い自信となって湧き出てきて、苦労はやはりいつの日にか役立つことを知った。

 そして水際の干満の差と逆巻く波こそ私の狙う天然の掃海であったから、私は水深の許す限り波打ち際の近くを通らねばならなかった。
(続く)

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