2009年06月13日

聖市夜話(第35話) 最後の大上段(その8)

著 : 森 栄(海兵63期)

 かくして1昼夜にも満たぬ間に、合計11回の戦闘を成し遂げ、黄海南部を横断した我が船団は、大黒山群島より南鮮の多島海に入り、仮称「南鮮狭水道」を通って東進した。

 私はこのまま引き続き門司に入れ込むことも考えたが、各船の中には敵機の爆撃によって舵機を壊され応急操舵をしているもの、また船体の各部を壊され応急処置のものあり、「満州丸」のごときは最初から常時排水作業を続けていたし、これらの全艦船の戦死負傷者たちは恐らく十分な手当を受けていないだろうと思った。

 また久し振りの交戦11回で乗員の疲労も少なくなかったものと思われ、かつ最後に残る対馬海峡も、従来は我が縄張り内の海面で比較的に安心できる海面であったが、今や沖縄に迫り勝ちに乗じた敵軍が2〜3隻からなる1群の敵潜を配備しているかもしれないという公算も考えられた。

 以上の理由から今更1日を争うことを止め、最後の慎重を期し、ここで戦死・負傷者、船体の処置をなし、乗員の疲労を取り戻して対馬海峡突破の英気を養うため、4月29日巨済島泊地に仮泊を命じた。

 そして数少ない軍医長に命じて全艦船を巡回させ負傷者の処置を行わせた。 各艦船も損傷部を修理し船内を整理し、ここでは敵機も侵入してこなかったので一晩中ゆっくり安眠して療労を回復することができた。

 私もゆっくりなって11回の交戦経過を振り返ってみると、あの2隻の敵潜のうちの1隻が、もし電探によって我が船団の直前でなく、斜前方の好射点に占位することに成功し、電探による多数魚雷の公算射法を決行していたならば、極度に縦横距離を詰めて結束していた我が船団部隊は、一挙にその約半数を失ない、大混乱に陥っていたであろうと想像され、首筋に寒さを覚えた。

 また敵潜がこの挙に出なかったのは、2隻の敵潜の配備点が相互に近過ぎて、両艦ともに味方討ちを警戒した結果ではないか、とも思えた。

 ということならば、2隻の敵潜の虎口より我が船団を護ってくれた第1の神は、やはり黄海の濃霧、約500メートルにも達しなかった狭視界であったものと思えた。

 仮泊1夜の翌30日巨済島泊地発、最後の海面である対馬海峡に乗り出したところ、霧の黄海とは打って変わって強風の荒天であった。

 私は対馬海峡の中央部を通り過ぎ、「今度の護衛も全船を率いて大過なく終わるか」 という感激にふけりながら後方の船団を見た。 ところが1隻足りない。 一番小型で約900トンの4番船がいない。 私はビックリして当直員に探させたが、やはり行方不明である。 シマッタ! これでは「全船」にはならない。

 大体行動中には、信号員長とか見張員が時々隻数を数えて 「船団異常なし」 を届けるし、落伍するものあればすぐ届けるものであるから、急に姿を消すということはない。

 巨済島を出たときは確かに4隻いた。 さては仮泊地から釜山沖辺りまで東航するころ、この船長道慣れた対馬付近に来たので、島の影でも利用し無断列外に出て先行したのではあるまいか、と想像された。 また万一敵からやられているなら、何か爆発音が聞えたはずである。

 また総じて1,000トン以下ぐらいの船長の中にはこんな類の不埒な船長が時々いることも確かであったが、総合して当方側も緊張を欠いていることの証拠であると思われた。 私は当直員を戒めてから言った、「もう余り心配するな、大抵先回りして門司に入っているだろう。」
(続く)
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