2009年05月13日

聖市夜話(第35話) 最後の大上段(その5)

著 : 森 栄(海兵63期)

 かくして「朝顔」としては約2週間の泗礁山警戒停泊を終え、4月26日「シモ03船団」を指揮して懐かしの泊地を出た。 泊地の中は文字通り空ッポになった。

 いよいよこれが最後の護衛になるような予感がした。 そして祖国の窮状に鑑み最少限度「満州丸」だけでも門司に安全に入れなければならない責任を感じ、泗礁山の黒々とした山頂を仰ぎ見ながら心の中に宣言した。

「在天の神々よ、御照覧あれ。 「朝顔」駆逐艦長海軍少佐森栄、ただ今より秘術を尽くしてシモ03船団を護衛せんとす。」

 出港後も102戦隊の兵力配分には依然として理解できない不満が残った。 これは公憤に属するものか、はたまた私怨に属するものか、私には分からなかったが、どちらにせよ船団部隊指揮官がこのような意識を抱いて新たに作戦行動を起こすことは明らかに不具合なことであった。

 私は忘れることに努めた。 そしてひたすら上海至門司間の最終船団の護衛の成功を誓った。 また同時にイ36部隊で長らく指導を受けたU中佐の目の前で、実地実物によりイ36生き残りの優秀艦の腕前をお目に掛けようと思った。

convoy_shimo03_s.jpg

 泊地より北上し、揚子江口の流れを横断したか、低速な船団は見る見る長江の泥水に押し流され、針路修正を35度ないし45度とらねばならなかった。

 この長江沖の横流れが終わった頃、春の東海独特の霧が徐々に発生してきた。 もちろん海面はベタ凪である。

 船団は更に北上を続け沖縄から1マイルでも離れることを計った。 泗礁山泊地が沖縄から約385マイルであったが、私は一刻も早くまず沖縄500マイル圏外に出て、その後で黄海南部を横断して南鮮の南西部に取っ付く計画であった。

 長江口の横断を終わって更に北上し、27日の夜に入ってから、小黒山鳥の同緯度辺りで針路を東に祈り、大黒山群島に向けたように記憶している。 この変針点が沖縄から約540マイルで、後沖縄520マイル圏スレスレぐらいで大黒山群島に至る航路であった。

 28日には霧がますます濃くなってきたので、私はこれこそ天の恵みとみて船団の縦横距離を航行に安全な範囲で一段と縮め、護衛艦と船団の距離も縮めた。 そして咄嗟会敵に備えて「朝顔」が先頭、この後に2列の船団が続き、「朝顔」以外の護衛艦は船団左右と後方に占任させた。

 東の針路に入ってから、果然沖縄からと思われる敵機1機が船団周辺及び直上に触接した。 その爆音と移動速度からみて双発飛行艇のPB2Yではないかと推定された。 この機は低速な日本船団の触接にも適当な機種であった。

 そして敵さんは毎晩の泗礁山泊地偵察の結果、26日以後泊地が空ッポになっているのを知り、「それ探し出せ」 とばかりに長江沖の濃霧中を電探で捜索し、ようやく我が直上に達したものと推定された。

 そして敵機の行動を爆音によって観察すると、船団からある距離までは電探が効いているが、余り船団に近くなると電探が効かないのでないか、と推定された。
(続く)

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