2009年05月11日

聖市夜話(第35話) 最後の大上段(その3)

著 : 森 栄(海兵63期)

 次に護衛艦に関しては102戦隊側は「鹿島」のほか海防艦の中で被害のないものだけ約8隻ぐらいだったように記憶している。 そして102戦隊出港日の早朝哨戒任務中被爆した海防艦は「朝顔」船団に入れられたようであった。

 一方貨物船の主力を与えられた「朝顔」船団側の護衛艦は、佐世保から同行の「朝顔」、哨102のほか、海防艦1隻と第20号駆潜艇(艇長的場虎之助)の計4隻だったような記憶がある。

 102戦隊は中速の小型貨物船2隻を海防艦群の中に交えて、足取りも軽くいそいそとして「朝顔」船団より一足先に南鮮(巨文島)向け出港して行った。

 102戦隊の主任務が敵潜掃討にあることはよく承知していたが、いまや「満州丸」を含む「朝顔」船団しか行動しないような東シナ海において、「朝顔」船団を後に残してさっさと移動してしまうことは、兵力の善用とは思えなかった。 せめて「朝顔」船団を間接護衛するくらいの兵力の善用を考えてもらいたかった。

 102戦隊がその後無事日本に着いたかどうかは、30余年後の今日いまだに知らないが、粒の揃った約10羽の黒い水鳥が出てゆくような姿は私の心に強く残った。

 102戦隊の兵力配分が電報となって発令されて、初めて私は「朝顔」船団に対する任務の偏重を知ったのであるが、時は既に遅く、私は今更護衛兵力の追加を希望できる段階ではなかった。 私には文句を言って行く先がなかった。

 したがってこのような状況下において全面的に現場先任指揮官に兵力配分を一任した上級指揮官の作戦指導も、適当であったものとはいえないであろう。

 即ちこのような事態が起こらないように、K長官は必要最小限度の条件を付けて、後を現地H司令官に一任することこそ、私の望むところであった。

 かつてのイ36部隊の伝統的精神は、第1に祖国の必要とする緊急物資(積荷)であって、第2が船員並びに船舶であったから、このように上海至門司間航路がまさに終息の寸前にあるような状況においては、現場の最有力な指揮官が当然「満州丸」の護衛を担当すべきものと、私は考えたのであった。

 私は「満州丸」以下4隻を護衛することが重荷と感じられたのでは決してなかった。 それまでの経験では、この4隻の護衛などは隻数も少ないし、また敵に対する暴露海域も少ないし、目的地も近いし、さほどの困難性は感じなかったが、このK中将とH少将のやり取りがイ36の伝統に余りにも反していることに憤慨したのであった。
(続く)
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