2009年05月08日

聖市夜話(第34話) 沖縄突入中止・済州島配備(その4)

著 : 森 栄(海兵63期)

 今度の船団名は、記録によるとサシ0船団であって、護衛兵力も前回と同じく「朝顔」と哨102の2隻。 4月6日佐世保発、同日五島列島の南端の福江着。

 何の目的で寄港したのか覚えていないが、陸上にて侍屋敷の間の道路の中央に水路が人工的に設けられていて、澄み切った美しい渓流がコンコンとして流れているのを見て、しばし戦いを忘れたことを記憶している。

 したがって寄港目的は一部の人員器材の、ついでの輸送だったかもしれない。 器材の揚陸に時間が掛かったからこそ、私はのこのこと侍屋敷まで見物に上陸ができたのであろう。 この目的終わって直ちに出港し、いよいよ済州島(東端)に針を向けた。

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 翌7日済川島東端城山浦着、震洋隊1隊を揚陸。 私も上陸して隊長を連れて警察に挨拶したが、ほとんど無防備だった同地は軍艦旗の進出に心強さを加えたようであったが、適当な泊地がない点が私には心配であった。

 翌8日城山浦発、北を回り済州沖を西航し、済州島北西隅にある飛揚島錨地に翌9日着。 ここで第2番目の震洋隊を揚陸し、同日同地発、同日のうちに済州島南西隅にある兄弟島錨地に着き、第3番目の震洋隊を翌10日揚陸して済州鳥配備を完了した。

 上記のうち飛揚島錨地では、沖合いの敵潜から湾内の停泊艦を雷撃できるような地形であったので、私は哨102の疲労については心を鬼にして同艦に湾口哨戒を命じ、貨物船と「朝顔」だけ湾内に投錨させた。 (もちろん「朝顔」の探信儀と聴音器は航海中と同様に当直を続けたのであるが) そしてこの次の機会には哨102を湾内に入れて休ませ「朝顔」に湾口哨戒を命じようと考えた。

 そして済州島配備が終わったら佐世保にまた帰るのかと思っていたら、兄弟島錨地にいる間に、「サシ0船団は泗礁山に回航して後令を待て」 という佐鎮電報に接した。

 普通の場合には、震洋隊の揚陸が終わったらまた出発点である佐世保に帰るのが原則であったが、この場合逆に佐世保からもっと遠くなる揚子江口に行けと命ぜられたのである。

 済州島は中央部が約2,000メートル弱の山頂で、漸次山の裾が海岸に下がり、丁度米国のキスチョコレートのような島であったが、島の詳細を見聞する暇はもちろん得られなかった。

 ただ、どこの錨地であったか覚えていないが、この行動中、「951空済州派遣隊蓑輪松五郎大尉」 に会っているところからみると、当時島の北岸中央部にある首都済州の近くに951空の一部が進出していて、対潜哨戒に当たっていたものと回想される。

 震洋隊済州島配備の任務を無事に終了した「朝顔」と哨102は空船2隻を護衛しつつ10日済州島(兄弟島錨地)を後にし、4月12日長江沖の泗礁山泊地に着いた。

 泗礁山に着いて2日目の14日に、海防艦「能美」と同31号とは、我々が僅か5日前に入泊したばかりの飛揚島錨地において、それぞれ0407と0409に沖合の敵潜より雷撃を受けて沈没したことを電報で知った。 詳しいことは知るよしもなかったが、これが護衛作戦の戦場の常であった。
(第34話終)

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