2009年05月07日

聖市夜話(第34話) 沖縄突入中止・済州島配備(その3)

著 : 森 栄(海兵63期)

 この沖縄行き船団計4隻が佐世保を出港したのは、3月25日であった。

 当時敵の動静についてどの程度分かっていたかについては余り記憶はないが、佐鎮司令部は沖縄作戦指導で忙殺されていたので、この「朝顔」船団にまで細かく世話する暇もなかったようで、現地の情報はほとんど傍受電報で見たように記憶している。

 戦後になって、この佐世保出港の日に既に敵戦艦群は陸上砲撃を開始していることを知ったが、当時の私達「朝顔」乗員は、目的地が沖縄だからとて別に恐怖心が出るわけでもなく、遺書を書くわけでもなく、いわゆる「車曳き」の本領として

 「水溜まりのあるところなら、命のまま、どこまででも元気良くすっ飛んで行きましょう。」

 という心意気であって、遺書なんどはいつの間にか書かないようになっていたし、かえって

 「今度の船団は可愛らしいね。 親船に沢山の子船が乗っているんだから、親がたとえ沈められても、子船の方はどんどん走り出すだろう。」

 ぐらいに呑気に考えたりしていた。

 佐世保から一路南下して、甑列島から沖縄に向けてしばらく走ったころであったか、「朝顔」船団より前に沖縄に向かった海防隊の護衛する船団が全滅したという電報が入り、その直後に、「朝顔船団作戦中止、佐世保に帰れ」 という命令があった。

 佐世保に帰着したのが何日であったか記録がないが、帰着後しばらく港内立神浮標に係留してゆっくりさせてもらううちに、今度は同兵力を済州島に配備せよということになった。

 そして佐鎮司令部は沖縄戦指導のため全員忙殺されていて、誰も同島に派遣できないから、「朝顔」艦長は震洋隊の親代わりとなって、三つの配備点の陸上に上がって、関係各部に挨拶して回ってくれ、という助川参謀の話があった。

 この震洋隊展開の背景には、敵は沖縄の次に済州島攻略を企図するかもしれぬという見通しがあったらしい。

 私も船団部隊指揮官の仕事のほかに、陸上挨拶という任務があることを初めて体験できそうになって、今度は陸に上がれて面白いぞと思った。
(続く)

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