2009年05月04日

聖市夜話(第33話) 昭南行ヒ99船団(その5)

著 : 森 栄(海兵63期)

 やがて「第5山水丸」が内海から門司に入港してきた。 同船長は粒揃いの護衛部隊をみてますます祖国終末の大任を感じられたようであった。 またこの船長も5人の侍の中に加わっても、全く遜色のない強そうな侍であった。 艦長船長がこのようであったから各艦船の乗員たちも 「今度の船団はすごいゾ」 と士気は最高潮に達した。

 3月11日ヒ99船団は門司より出港して六連に移動し、翌12日朝六連を出撃し、前途約3,000海里の昭南行き行動を開始した。 第1の寄港予定は高雄であって、航海速力は「第5山水丸」の15ノットにしたがった。

 朝鮮海峡を横断して鎮海沖に達するまでの数時間は、本船団の基本の隊形とする輪形陣による回転整合と、視覚信号を全く使わない電話による各種陣形運動の良い訓練海面に利用され、本州側が見えなくなったと思ったらすぐ南鮮側が見え出し、瞬く間に南鮮の島の間に入り込んでしまった。

 私はこの船団部隊の機敏な運動を見て、これなら相当の無理が効くと喜んだ。 もちろん「朝顔」がそれまで護衛に参加した全船団部隊の中で最も立派な船団部隊であり、今後敵機動部隊の空母機の波状攻撃を受けても、そのうちの何回かまでは耐え抜くであろうと思われた。

 以後南鮮の狭水道を1本棒になって西航し、翌16日0100頃、南鮮を離れて外洋に出ようとする時、豪雨のため航行に不安を覚えたので、殿艦より逐次投錨して雨の晴れるのを待った。

 この時、第1護衛艦隊長官より 「ヒ99船団作戦取り止め、引き返せ」 の電報を接受した。

 今度こそは全艦船決死の覚悟で門司を出撃したのではあったが、作戦中止もこれも戦場の習わしとばかりに直ちに反転して、元来た道を戻り当日中に六連に着き、翌17日門司に入港し、ヒ99船団の編制を解いた。

 かくしてこの船団は、私にとってはわずか「2日の天下」ではあったが、最も豪華な護衛の思い出となって後々まで記憶に残った、と同時に九死の中の一つに数えなければならない「命拾い」の記録ともなったのである。

(原注) : 私はこの指揮官を命ぜられたとき、「これで立派な死所を得た」 という一種の安心と喜びを感じたが、よくよく考えてみれば、それがたとえ一家一門の光栄であったとしても、そのような考えはやはり私利私欲に属する個人の感情であって、国家の兵力というものは一個人の栄利のために使われることがあってはならない。 そして純粋に、慎重に、ただただ、国家のために善用されるべきである、という風に感じた。 そして日本古来の文化の中にも訂正して行かなければならないものがあるように思った。


(第33話終)
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