2009年04月23日

聖市夜話(第32話) 試練の東海・吹雪の舞鶴(その3)

著 : 森 栄(海兵63期)

 乗員の先頭に立って、強気の権化みたいに振る舞っていた私にも一つの弱点があった。

 それは数年前のシナ事変中に再発したヘルニア(脱腸)であって、その位置は丁度私の腹の第1缶室右舷に相当していて、私が大きい声を出したり咳をすると、その都度脱腸帯の丸蓋を押し上げて外舷の破ロより腸が舷外に顔を出し、それが余り大きく出ると、これを撫でながら中に入れ込むのに苦労しなければならなかった。

 私はこのヘルニアについては家族以外だれにも話さなかったが、戦争中の苦労の一つとして忘れることができないことであるし、またヘルニアのないはずの海軍では珍しい例であるので、以下御参考に書き残して置こう。

 母の話によると、歩き始めのころ両親に両手を取られて、ある日実によく歩いた。 その夜発熟してヘルニアが始まって以来、呉の正法寺脱腸帯が私の体の1部品となったが、学齢前の頃には横張索が膚に食い込む痛さに堪えかねて、母の厳命にもかかわらず、時々こっそりこの部品を外して、付近の遊びに飛び出していた。

 太陽も西の空に傾き餓鬼同志の別れ際になると、互にありとあらゆる覚えたての罵詈雑言を大声で呼び合うのが習慣であったが、私は1声2声叫ぶうち、もうこれ以上続けることができず、下腹部を手で押えてうずくまって戦闘中止となることが毎回であった。

 当時は手術も大変であったのであろう、また医師はバンドを常用していればそのうちに治ると母に教えたのであろう、母はバンドを外してはいけないと私に命じた。

 お陰で小学校に入って以後いつの間にか破ロが塞がったらしく、中学の頃はバンドを使った記憶はない。

 やがて兵学校の身体検査を迎えたとき、ヘルニアの者は採用しないという大きな項目をみて、幼少時の喧嘩を思い起こすくらいで、軍医官の前で腹を大きく膨らませても、昔の小僧は全く顔を出さなかった。

 それから江田島の満4年の規則正しい生活は、ますます破ロを丈夫にしてくれたらしく、ヘルニアのことはスッカリ忘れてしまっていた。
(続く)

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/28641832
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック