2009年03月30日

聖市夜話(第29話) レイテ突入迫る(その5)

著 : 森 栄(海兵63期)

 丁度この頃、オルモック湾における駆逐艦「竹」(艦長宇部木勤少佐、64期)及び「桑」が、敵大型駆逐艦3隻と交戦し、「竹」の発射した93魚雷で敵の1隻をスッ飛ばし、その追跡からうまく離脱できたという情報が入った。

(原注) : この交戦は12月3日で、第7次と第8次の間になる。 「桑」は「竹」の魚雷戦の前に砲戦で沈没し始めている。


 台湾竹の装備に熱中していた私は、早速「朝顔」にも魚雷が欲しくなった。 連続護衛ばかりやっていた「朝顔」は、誘爆防止と重量軽減のため魚雷を卸していたのであった。

 早速高雄、馬公を捜してもらったら、艦首をやられて馬公で修理中である「朝風」(旧一等)が分けてくれるということが分かった。 「朝風」と言えば三亜海岸を走って潮高を上げてくれた福山強少佐の艦である。

 「朝顔」は早速12月19日(記憶)高雄を出て強い北方季節風を受けながらその日の夜馬公に投錨したが、陸上が低い馬公は風を遮ってくれる何物もなく、船体は強い風圧をモロに受け、かつ底質は岩盤で錨かき悪く、何回投錨しても猛烈な風で見る見るうちに風下に流し落とされ、危く港の南端にある沈船に押し付けられそうになったこともあったが、この悪戦苦闘を4−5回繰り返すうちにようやく岸壁に紡索を取ることができた。

 この苦闘の間、私の周辺にいる幹部は、操艦に関して艦長以上の年期を入れている者はもちろん一人もなく、私一人で強い北風と戦って、排水量1、500トンを狭い港内で取扱うことは、非常な苦労であって、我が身の未熱さをつくづくと思い知らされた。

 翌日、「朝風」乗員が調整して大事に秘蔵していた6年式魚雷2本を、そのままソックリ頂戴して調整し発射管に装填し終わり、更にその翌日高雄に向け馬公を出港した。

 台湾海峡は依然として北の季節風が強く、風速約20mが連吹し、連日の風でうねりも大きく波長100mぐらいであって、長さ85mの「朝顔」は1つの波にスッポリ入るくらいであったが、舞鶴での新乗艦者以外の旧乗員たちにとっては、冬の東シナ海は慣れた庭先であり、また心は近く突入予定のレイテのことで一杯であった。

 高雄に向けると丁度追い風、追い波であったが、私の心は一刻も早く高雄に帰って、レイテ第10次輸送部隊としての勢ぞろいに間に合わせたいと思って、速力を約24ノットとし、針路にも工夫を加えず追い風追い波に身をゆだね、むしろ艦速が少しでも多く出ることを期待した。

 艦首は右に左に各約15度ずつぐらい振れ、操舵長は抵舵(あてかじ)で艦首の振れを止めるのに忙しかったが、丁度波乗りに成功し続けているような全乗員は、これで魚雷もいつでも撃てる、後はレイテに突っ込むばかりであるという旺盛な意気込みであったが、私も 「 「朝顔」の向かうところ敵なし」 と胸を張り、観音開きの帆船を操縦しているかのような得意の絶頂にあった。

 突如右舷後方の大型望遠鏡についていた見張員が叫んだ。

 「人が落ちた、2人、右舷中部!」

 私は瞬間頭から冷水をかぶせられたように驚き、艦橋右舷後部に走り寄って海面を見た。 冷蔵庫の上にあった醤油樽1個とともに2人の頭が見えた。
(続く)

この記事へのコメント
朝風→春風ですね。
Posted by IWA at 2016年01月10日 11:28
IWA さん、お久しぶりです。

「朝風」 については原文のままとしております。

Posted by 桜と錨 at 2016年01月11日 18:36
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