2009年03月21日

聖市夜話(第28話) 晴天暗夜の大風呂敷(その3)

著 : 森 栄(海兵63期)

 溺者収容が終わったのは午後で夕刻近かったと記憶しているが、終わって現場を離れ香港に急行する間に、収容者達から個々に聞いた昨夜の被害状況を総合してみると次のとおりであった。

 「船内が暑いので皆上甲板で涼んでいた。 突如上空の満天の星が一時見えなくなり、小型爆弾が少し落ちてきて、所々が燃え出したと思ったら次にゴオーという大音響が突如として起こって、後自然に弱くなって遂に消えた。」

 ということであった。

 思うに、当時の南シナ海哨戒中のB24の1機は、電探によって船団部隊を捕捉し、映像の中で一番大きな「日瑞丸」を爆撃の目標とし、哨戒兼爆撃という任務上携行している小型爆弾(約30トン程度)を使用する目的で、「日瑞丸」の針路上、斜後方上空より発動機を止め、約20度程度の緩降下で無音のうちに近迫し、「日瑞丸」上空約500m以下くらいの低空で投弾し、直に上舵を取り同時に発動機を発動して針路上の前方に去ったものと推定された。

 「日瑞丸」便乗者にとっては、晴天暗夜に突如頭上から覆いかぶせられた大風呂敷のように感じたことは無理からぬことであって、弾着と同時に戦死、負傷者も生じたであろうし、また船体機関の被害も生じたであろうし、これらの処置で船内大混乱を呈し、敵機投弾の推定もなかなか立たず、まして「朝顔」宛て報告も要領を得なかったものと想像された。

(原注) 敵機投弾によって船長が戦死したかどうか記憶に残っていない。

 これは正に電探爆撃と見張力の闘争であって、「朝顔」の当時装備していた逆探も対空電探(18年11月装備)も事前にこの敵機を捕捉できなかったわけである。

 このような敵機の戦法は、また南シナ海では初回のものであったように記憶している。 この敵は初めてやってみてこれだけ見事に成功したからには、敵機も昆明辺りで何回も訓練してきたものと推定されたが、当方としては見事に「お面1本」を取られてしまった。

 これまで、「朝顔」艦長が船団部隊指揮官として指揮しているときの被害は皆無であったが、これで遂に初の黒星を付けてしまった。

 三亜海岸75日間の座礁は、気力体力を回復させてくれたことは確かであったが、お馴染みの南シナ海のB24の新戦法を見破るだけの心眼には回復していなかった。

 部隊というものは、指揮官の心眼によっで性能以上の能力で敵の端緒を捉むことがあるものであり、私の心眼がもしこのような敵機の新戦法を予め警戒していたならば、たとい対空電探が性能悪く1機の敵機を捕捉していなかったにしろ、逆探又は電信室の受信機が何かしかの敵電波を事前に捕捉し得ていたのではないか、と反省せられ慚愧に堪えない。

 またかつて、生徒時代に運用術のみならず色々な科の教官から、「慣れた航路も初航路」 と耳にタコができるように教えられてはいたが、三亜を出て東航しつつあった私は、被爆当夜の満天の星があたかも「朝顔」の生還を歓迎しているかのように錯覚し、慣れた南シナ海を我が庭先と思って台湾入港を心に画いていた。 これは全く船団部隊指揮官の呑気さに起因する失敗であった。

 不敗の指揮官になるためには、一寸一秒の油断もできないことを敵の大風呂敷(B24)は数えてくれた。
(続く)

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