2009年03月20日

聖市夜話(第28話) 晴天暗夜の大風呂敷(その2)

著 : 森 栄(海兵63期)

 18日2200、突如「日瑞丸」の中部上甲板で低い爆発音が聞こえ、機械室天窓付近に低い発火が認められた。

 私は、直ちに「日瑞九」宛て、「如何がせしや、状況知らせ」 を発信した。 同時に、少しの爆音も聞かなかったので、私は総合的に 「相手は潜水艦!」 と判断し、船団全部に「対潜警戒」を令し、「朝顔」には「日瑞丸」前方の捜索探知と聴音を指示した。

 ところが「日瑞丸」は、どうしたことかサッパり敵状を応答してこず、行き脚は漸次止まってきて船首が少しずつ沈下し始めていることが認められた。 私は何回も「日瑞丸」船長に報告を求めた。

 被害後小1時間も経過したころであったか、ようやく敵状を知らせてきた。 「敵飛行機1機投弾、我浸水中」 という旨のことが簡単ながら判明した。

 私はここで初めて敵は潜水艦でなくて飛行機であったことを知り、船団全部に「対空警戒」を令し直したが、船団に被害を受けながら小1時間も敵の相手が不明であったことは、40数回の護衛行動中、後にも先きにも「日瑞丸」だけであった。

 「日瑞丸」は多数の引き揚げ者を便乗させていたので、被害直後の船内は相当に混乱したものと想像され、船長の報告も遅れ、かつその内容も要領を得ないものであった。

 また、当初の被害も軽微であり、船体の浸水も除々であるので、私は翌19日黎明まで保てるのではないかとさえ想像したが、被害状況についても、特に船体浸水状況についても余り詳しい報告は得られなかった。

 私は船団位置が香港の南約60マイルであった点も考え、「対空警戒」と同時に「対潜警戒」も重視し、暗夜「日瑞丸」に横付することを避けたが、後になって反省してみるとき、船団4隻のうちの最も小型な商船でも「日瑞丸」に横付させることができなかったか、と後から思うことであるが、当時 「打てども響かぬ」 「日瑞九」の幹部ともう1隻の商船が、果たして暗夜の横付をうまく実施できたであろうか、という疑問も同時に湧いてくるのであった。

 「日瑞丸」は被害後も数時間浮いていたようであったが、遂に19日の黎明前に沈没してしまった。

 私は残り3隻の商船を掃101に護衛させて香港に先行させ、19日黎明から「朝顔」単独で「日瑞丸」溺者を終日救助したが、被害後沈没までに時間の余祐があったためか、各溺者の乗っていた筏と、身辺の準備は比較的に整っていた。

 救助には「朝顔」直接操艦によるものと、短艇によるものとの記憶があるが、直接操艦によるものが1群終わって他群に移るまで丁度約30分を要したことを記憶している。

 当日の朝は前日の平穏さに比べて、少し風浪が起こっていたが、溺者は思い思いの筏に乗って波上に漂っていた。

 中には一人用の筏に支柱を立て、縦長の白布に「南無妙法蓮華経」と大書し、その横に端然として合掌正座している男子老人あり、また筏から離れたらしい15、6歳の男の子供が救命胴衣の浮力で顎を突き上げ上空の雲を凝視して単独で黙って漂っているのもあり、婦人はほとんど見受けなかったが、端座合掌している人の準備の良いのには驚かされた。

 私は艦橋で広く海面に散らばっている溺者を見ながら、「次はどの群にしようか」 と見張員たちに相談したが、ある元気の良い者が次のように答えた。

 「あの端座居士は今後働けるのは何年あるか分からない。 しかしこの子供は、これこそ私達の後を継ぐべき者である。 艦長この子供から先きに救助してください。」

 私はこの理論に賛成して子供から先きに救助して行ったが、視界内に浮いていた溺者は全部漏れなく収容することができた。
(続く)

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