2009年03月05日

聖市夜話(第27話) 恩人、東米則技師(その1)

著 : 森 栄(海兵63期)

 座礁時刻については当時の記録で19年7月9日2355というのがあるが、大体その辺であると思う。

 当時の概要を略図にしてみると次のとおり。

asagao_locked_02_s.jpg

asagao_locked_03_s.jpg


asagao_locked_sat_s.jpg

( 「朝顔」の座礁位置は、現在の三亜市の写真からではだいたい上に示したところ
 と考えられますが、正確な場所は判りません。  元写真 : Google Earth から )

 私達が遭難するや、三亜の海南警備府司令長官は、三亜の「朝顔」に対しては三亜の第16警備隊司令を救難指揮官に、楡林の第2号海防艦と「北辰丸」に対しては同じく楡林の海南工作部長を救難指揮官に任命し、その他海南施設部、軍需部なども総力を挙げて協力するように発令されたが、「朝顔」に対する転覆防止策は素早く、翌日第1図のように完成された。

 特に、近くに軍需部・工作部・施設部があって、更にまた目の前に警備隊があったことは不幸中の幸であった。

 ついでに言うと、「朝顔」の北西方には、北東方の16警よりもっと近い所に海南病院があって、私が江田島教官時代お世話になった優しい池田選一軍医中佐がおられ、私は早速お願いに行って、「朝顔」乗員の毎日の入浴の快諾をもらったが、さてどこにも故障がなく健康上同情すべき一点もないような「朝顔」乗員が、毎日汗と泥とで汚れきって入浴に押し掛けたことは、病院側に多大の迷惑をかけ、「ここは清潔な海軍病院であって、薄汚れた小艦乗りの銭湯ではないぞ」と、密かに嫌われているかのように感じられた。

 それから、第11特別工作部香港支部から、海軍嘱託のサルベージ技師である東米則氏が単身飛来し、私たち座礁艦船の救難の指導に当たった。

 楡林の2隻については、東技師の指示は割合に簡単だったようで、一番難物の「朝顔」に付き切りのようになってしまった。

 同技師は中肉中背ではあったが、体躯頑丈そのもので、表は優しく常に温かい眼差しをたたえていたが、うちに確固な自信と何物にも屈しない強いファイトを秘めているかのようで、私にとっては百万の味方であった。

 私はすぐ仲良しになっていただいた。 年齢も丁度私より10歳ぐらいは上のようであって、正に頼もしい兄貴であった。

 東技師は「朝顔」に来るや、まず百足のように舷側全周に支えられている丸太の支柱を1本ずつ効き具合を点検して、不足の部分には本数を増し、短過ぎるものは長さ十分のものと変え、全周の点検調整を終わった。

 そして艦内各部、艦底、外舷を隅なく点検して、浸水部の皆無であることを知り、また砂の上に少し頭を出している推進器翼端にも、舵にも異状のないことを認めた。 

 それほど三亜海岸の砂はきめ細かく、小石を混えておらず、付近に岩石もなかったことは珍しい幸運であって、あたかも柔らかい座布団にドッシリと座り込んだようであった。
(続く)

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