2009年03月04日

聖市夜話(第26話) 三亜の白砂(その7)

著 : 森 栄(海兵63期)

 次に楡林港内では、マニラより同航した「第2号海防艦」は艦尾を岩礁上に乗礁し舵推進器を損傷し、右へ25度傾斜し、また同湾内で鉄鉱石を満載していた陸軍貨物船「北辰九」は外港東海岸で座礁し海底に沈座したということであった。

 思えば司令部で私は安眠を考え、吉田艦長は艦の安全を考えていた。 そのスタートから気迫の違いがあった。 わずか1年上の先輩でありながら、沖合に向けることに全力をかけた先輩の気迫は、嵐に気を飲まれた私に比べて天地の開きがあった。

 戦後「朝顔」の行動調書を見ると次の記事がある。

 「746ミリの台風性低気圧三亜南東約30Kmに接近し、9日1800、739ミリとなり2200頃より風力漸増し平均22m突風32mに達せしところ、仮泊中の「朝顔」錨鎖切断し三亜海岸に、次いで楡林外港停泊中の「第2号海防艦」及A船「北辰丸」楡林外港東海岸に座礁せり、「朝顔」は水深約1mの砂浜に乗り上げ約1.5m埋没傾斜右へ約5度、付近一帯遠浅にして引き卸し困難、「第2号海防艦」は岩礁上に乗り上げ、右へ約25度傾斜せり、全力救難作業中。」

 上記の記事中に 「朝顔は引き卸し困難」 とあることに注目されたい。 これは埋没の状況からみて、入力機力により引き卸し困難と見た当時の判断は当然であって、この困難な状況がいかに経過していったかということは、余りに長くなるので次の回に譲ることとする。

 悔悟の念に明け暮れた私にとって、一縷の光明を与えてくれたのは、戦前の連合艦隊勤務中に水雷屋の先輩が教えてくれた次の言葉であった。

 「成績ばかりビクつく奴は本当の船乗りにゃなれんよ。 水雷屋は凶状持ちほど役に立つさ。 要するに腕を磨くことだ。」

 私は近く処罰されるであろう。 もはや完全に凶状持ちである。 もしも幸いに現職を継続させてくれるならば、獅子奮迅の働きをして、凶状持ちがいかに役立つかを天下に示してやろうと思った。

 「朝顔」の船体はドッシりと全周の砂浜に座り込んでしまっており、押せども引けども動きそうな可能性は全く見られなかった。

 今まで余りによく走り回ったので、既に御老体である名馬「朝顔」もついに座り込み、最愛の私がいかに手綱を強く引いても、首をたたいて泣き付いても、どうしても動いてくれそうな気配はなかった。

 そして「朝顔」を再び沖合に導き出すことの可能性について考えれば、敵潜を斃すこと、船団を護衛することに比べてみて、その何10倍かにも匹敵するように難しそうで、不可能に近いと思われた。

 三亜海岸の砂浜は、延々としてはるか西方に伸び、海岸の椰子の葉陰とともに連日の強い太陽光線を受けて真っ白に照り輝き、紺碧の空とともに座りこんだ「朝顔」の全周を平和の中に包んでくれているような光景であって、そこには戦争の片鱗すら思わせるものがなかった。

(原注) 戦後、古いアルバムで「朝顔」艦上のただ1枚の写真を調べてみたら、「19年7月8日海南島三亜にて林敬一郎軍医長撮影」 との説明があり、乗馬靴と体操帯を着けているところから見れば、私は座礁前日司令部に乗馬に行ったものと思われる。


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     同軍医長は同年4月28日佐世保にて乗艦し、12月20日高雄で退艦し、後「第61海防艦」に転勤し翌20年2月9日サンジャック沖にて触雷負傷したが、戦後サイゴン病院より帰還復員し、東京都中野区で開業して現在に至っていて(執筆当時)、昨年は夫人同伴はるばる来伯してくれ再会の喜びを私に与えた。


(第26話終)

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