2009年03月03日

聖市夜話(第26話) 三亜の白砂(その6)

著 : 森 栄(海兵63期)

 艦底の龍骨が砂浜に乗って、右舷左舷に短い周期でガタガタと揺れる。 艦橋上の主砲射撃指揮所で強い風浪のしぶきを受けながら総指揮をしていた私は、このガブリごとに猛烈に吐いた。

 「人間命懸けになると決して吐かない」 と開いていたが、アレはうそであったか。

 否々この横着者奴の真剣さが足らないから吐くのだ。 悔悟の念は次々に去来し、自称最優秀艦「朝顔」艦長という高慢の鼻は一ペんにへシ折られ、悔し涙が猛烈に吹き上げるしぶきとともに頬を濡らした。

 しかしながら、敵に対して一騎当千の士と誇った乗員は、この瞬時の遭難に際してもさすがに極めて勇敢であった。

 内側短艇を卸して陸上と連絡しようとした特艇員は、艦と水際との間にできた急流に一瞬の内に流され、艦尾から約100mの風下側水際に打ち付けられ、私は特艇員の生死を憂慮し続けたが、1人のけが人もなく全員砂浜に上陸を成功していることが分かった。

 次いで「朝顔」が龍骨を支点として横倒しになることが憂慮された。 またあらゆる作業の手初めに1本のホーサーを右舷最寄(約30m)の陸上の救援隊に送り、ホーサー沿いに連絡を付けようとしたが、このロープ1条の陸送り作業も、荒れ狂う風浪のため不可能であった。

 三亜海岸の第16警備隊は、能美司令(実、大佐、43期)以下高張り提灯をかざして風浪狂う「朝顔」座礁海岸に多数応援にきてくれたが、風浪治まるまではいかんとも仕難く、陸の人はただ艦上の人を見守るばかりであって、両者の間を日頃想像もつかないような急流が風下側に流れる状況が、陰惨極まりない形相を呈していた。

 私は観念して、船体は天に任す。 しかし貴重な乗員だけは、無理な命令で殺すまい、けがさせまいと注意した。

 夜半になり風は少しずつ弱まり始めた。 そして翌10日の日出頃には荒れ狂った昨夜のこともケロリと忘れたかのように、スッカリ凪いでしまって、昨夜の急流は跡形もなく消え去り、「朝顔」の全周はきめ細かい美しい三亜の白砂でビッシリと埋められてしまった。

asagao_locked_s19.jpg
(三亜の海岸に座礁直後の「朝顔」)

(注) : 上の写真は本稿が掲載された当時のモノクロコピーから復元したものです。 今にして思えば、せめてもしグレーの写真コピーだったらと残念ですが、当時の複写機の性能上やむを得ないものとご了承下さい。


 私も全乗員も、一生一代の恐ろしい体験を終えて身心ともに疲れ果てたが、早速工作部から送られた丸太数拾本を舷側全周に支えて、まず転覆防止の策が取られた。

 上甲板中部からは道板が海岸に渡され、舷門は道板のところとなり、丘と直結した砲台のような、またムカデのように足の生えたホテルシップになってしまった。

 私は新事態に対して早速方針を立て、全乗員の士気を落とすまいと考え、総員を集めて次の要旨を訓示した。

 1.遭難の責は一つに艦長にある。
 2.乗員はよくやった。 この遭難は神が私たちに与えた休息のときである。
 3.戦局は逼迫している。 一日も早く離礁して再び船団護衛に従事する。
 4.離礁作業中存分に英気を養い、健康を回復し、次の行動に備えよ。

 私は座礁の間全身ビショぬれになって悔悟の血涙を流したが、これは部下に見せられぬ涙であったが、その次の段階では荒れ狂った風浪がケロりと凪いだと同様に、私はあたかもこの陸続きの境遇を喜ぶかのように元気を出し、再び沖合に浮かぶ日を1日も早く迎えることに全力を傾注しようと決意したが、この仕事たるや海上の船団護衛の危険性に比べれば楽すぎるような仕事であって、乗員に訓示したとおりそれは絶好な健康回復の機会でもあった。

 艦は動かず、敵は近寄らず、毎日艦内で安眠は続き、今までの寝不足で衰弱していた体力気力を回復するにはもってこいの期間であった。

 聞けば同夜「呉竹」は、主機械の準備完了を待たず沖合に向け捨錨出港し、推進器翼は海底の砂を強引に刻み、翼端に破損を生じながら沖合に出ることに成功したという。 私は吉田艦長にスッカリ教えられた。
(続く)

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