2009年03月01日

聖市夜話(第26話) 三亜の白砂(その4)

著 : 森 栄(海兵63期)

 単独艦「朝顔」は2人を収容して今や気も軽々とマニラ湾を走り、コレヒドール島を横に見て外洋に出て、南下中のヒ67船団を求めて北上したが、海上平穏で間もなく船団に合同した後何事もなく、船団は7月1日0015マニラに着いた。

 翌2日は次の海南島行き船団会議で「朝顔」艦長指揮であったので、会議は熟練工の「朝顔」幹部の手によって順調に終わったが、機関長缶長の件で懲りた私は、石川先生邸における宴会を次の機会に譲ることとした。

 翌3日0700このマユ04船団は海南島南岸の楡林向けマニラ発、商船隻数は6隻で護衛艦は「朝顔」と「第2号海防艦」の2隻であったが、今まで手慣れた南シナ海も無事その9割を突破し、楡林入港当日の深夜0130、昆明から飛来したと思われる敵重爆によって、「ぱしふいっく丸」 が爆撃されたが幸いに被害なく、7日1000楡林に着いた。

 またも「朝顔船団被害なし」で済んだが、今や6月15日の黒星2隻のただし書きが付きまとっていた。

 早速馴染みの広東料理店に行って、服部シーさんに自宅より持参の佐賀名産深川製有田焼の徳利と杯を寄増し、支那酒の杯を傾けながら一別以来の体験を語り合ったが、服部先生は自分が戦をしているかのように興奮して「朝顔」の強さ武運を祝福してくれた。 こうなると彼もまた戦友の一人に入れないわけには行かない。 全く彼は憂国の士であった。

 楡林港内は内地行き鉄鉱石船団で一杯で、鉄鉱石を空船に積み込む作業は昼夜兼行で行われており、昆明よりの敵機も三亜空の零戦隊が怖いのか、従来楡林三亜一帯には接近しなかった。

 そしてこの鉄山が欲しいためか海南島は全島海軍が占領していて、海軍最高司令部である海南警備府は楡林港の西隣りの三亜海岸にあり、海軍の警備隊は三亜、楡林のほか島北岸の海口に配備され、軍需部、工作部、施設部などが楡林にあり、零戦約10数機を有する航空隊が警備府の西約4Kmにいて空を護っていた。

 7月7日楡林港内で一泊した「朝顔」は、次の船団で同行する予定の駆逐艦「呉竹」とともに翌8日三亜海岸の司令部前面に転錨した。 そしてマニラから同行した「海2」は、楡林港内にそのまま在泊していた。

 「呉竹」の艦長は私と同郷で一級上の吉田宗雄少佐(62期)で、3月から「呉竹」在職中であったが、生徒時代以来久し振りに戦場で再会し、私は兄貴に会ったようなうれしさ懐かしさで一杯になった。

 7月9日「呉竹」艦長とともに司令部に行き、長官に伺候し後、幕僚室で雑談中、真新しい目も覚めるような白の副官肩章を着けた岩松義明主計大尉が現れた。

 「「朝顔」艦長、お国はどこですか」 から始まって語るうち、これが東大経済を出て海軍予備学生で海軍に入ったという家内の親戚であることが分かった。

 分かる前からサービスは良かったが、「呉竹」艦長までが佐賀であるので、副官のサービスはますますよくなった。

 司令部の続きには来客用の寝室も用意されていて岩松副官に案内されたが、質素ながらナカナカ涼しそうで静かであり、中庭の椰子の葉が静かに揺らぐのを見て、私はカンカン照りで全身焼け付いている沖の「朝顔」と思い比べ、スッカリ司令部に泊まりたくなった。
(続く)

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