2009年02月26日

聖市夜話(第26話) 三亜の白砂(その1)

著 : 森 栄(海兵63期)

 前の行動(19年6月中旬)で、平素気の付いたことに対策を講じておくと早速実戦に役立つことを現実に教えられた私は、このころ流れ弾警戒のほかに、「順番号単縦陣厳禁」 という項目に注目していた。 そして何かほかに代わるべき良い隊形を案出したいと色々に考えを巡らしていた。

 従来海軍士官は、2隻以上の指揮官になると、自分の部下兵力を順番号単縦陣に並べては自ら得意になっていたので、この平時の癖は戦時になってもつい出やすく、隊形混乱の後などこの隊形をついとりやすいものであったが、この隊形は潜没中の敵潜に、「サアー撃の下に2〜3隻撃沈してください」 という、格好の隊形であり、およそ敵潜潜在海面では厳に憤しまねばならない隊形であった。

 もちろん、この隊形は狭視界内の混乱時などに、部下兵力をまとめるには最も容易かつ適切なものであるが、それは狭視界時に厳重に限定されなければならないものであって、安易に使用することは、隊全滅のもとであった。

 それで私がこれに代わる隊形を当時考えていた案は、艦の長さ約80mの4隻の場合として、

 第1隊形
  (1) 常距離 大約300〜400m
  (2) 2番艦は隊針路より左に約100m寄せる
  (3) 3番艦は右に約100m寄せる
  (4) 4番艦は隊針路上1番艦後方900mないし1200m
  (5) 2、3番艦も1番艦よりの距離を一定に守ってはいけない。 1番艦と4番艦の
     間に順序に占位していればよい。

 第2隊形
  第1隊形における2、3番艦を左右逆にしたもの

 というようなものであって、すなわち第1隊形は雷跡右即応、第2隊形は雷跡左即応という姿勢であった。

 また順番号単縦陣では、一番艦の方位距離を常に一定に守ることに努力したが、この案では一定に守ることはかえって禁じ、方位距離には一定の許容範囲を与え、方位距離に注意を集中する代わりに、敵の雷跡、発射音に全神経を集中させようとするものであった。

(原注) その後暫くして(多分19年7月頃)、マニラ沖で海防艦3〜4隻の一隊が、敵潜の第1撃で2隻斃され、ついで第2撃で残り1隻が斃されたことがあったように聞き、私は「朝顔」艦橋で先任将校に次のように語ったような記憶がある。

     「もはやイ36は、戦則でも作って全軍にこのことを徹底させなければならない。 近頃の敵潜は急速に功妙大胆になっているぞ。」


 この基準隊形案は船団部隊指揮官としての考えであったが、次に艦長としてこの頃特に気が付いたことは、「艦長の正眼の構え」 であった。

 艦長は艦橋で大体右舷か左舷に席が決められていた。 そうなると勢いその席の在り方で艦長自身の体の姿勢が右か左に片寄りやすいものであって、例えばいつも窓に左腕の肱を掛ける艦長は、心の姿勢も左に暗く右に明るくなりやすい。 この左肱のような習慣こそ恐ろしいものと発見したのである。

 以後私は、折り椅子の中で半ば仮眠するときにも、両脚両腕を左右平均に片寄らぬように注意し、暗夜艦橋見張員の誰が声を立てても、両側の耳が同じ感度で受け止め、私の心が左右いずれにも平均して働くよう注意することに努めた。 すなわちこれは剣道でいう 「正眼の構え」 であった。
(続く)


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