2009年02月24日

聖市夜話(第25話)船団轟沈・流れ弾警戒−2(その5)

著 : 森 栄(海兵63期)

 「朝顔」は現場を後にして大島海峡に向けた。 船団のほとんど全部は「朝顔」より前方を先行していた。

 酒井甲板士官が艦橋に上がってきて、低い声で私にコッソリ尋ねた。 「入港したら大島紬を買ってきます。 艦長は何本ですか?」

 私はこの転換の善さにビックリして、お相伴の意味で1本予約した。 これが終戦後食糧に困ったとき、本場の大島紬として良い値で売れたが、連続作戦行動を続ける護衛艦としては、敵潜を取り逃がしたとて長くクヨクヨすることなく、パッと気分を転換できる甲板士官のような性格が必要であった。 「鬼の甲板士官と大島紬」 を思い出すと今でも微笑を禁じ得ない。

 大島海峡では錨地がこの大船団を入れるには十分でなく、「朝顔」は後から入港して錨地を捜すのに苦労した。 入港して強い大腸に輝く陸上をながめると、そこには戦争の面影が全く認められず、バナナ、椰子が緑濃く繁り輝き平和境そのものであった。

 被害後統制が採れなくなったこの大船団も、大島海峡に集まって一息入れようやく人心地がついたようで、16日出発。

 この船団の中には基隆行きの「松浦丸」と「加茂丸」がいたので、途中「朝顔」は台湾北方で船団より分離しこの2隻を護衛し、17日には敵潜らしきものを探知攻撃したが効果不明、18日には浮流機雷1個を発見銃撃処分し、同日1647無事基隆に入港した。

 「朝顔」はこれで肩の荷を下ろしたので良いようなものの、残り船団22隻を残り護衛艦4隻で護衛して行かねばならないミ07船団の前途は、誠に危なっかしい思いであった。

 6月18日の夜は、翌朝の出港が早いので馴染みの船越別館に泊まらず、艦に帰って寝たようであったが、この台湾北端にある基隆港は、沖合海域で潮流がブツかり合って水蒸気を発するためか、いつ来ても曇天か細雨の日が多く、湿度も多くて何か陰惨な感じを与えた。

(原注) しかし、一歩汽車で台北に出ると、カラリと晴れた快晴であるという経験が支那事変中にあった。


 翌19日は0530基隆発、単独台湾海峡を南下し、次の船団の待つ高雄に2000入港した。

 次の予定は珍しく明後日出港である。 2晩続けて安眠できる有り難さに、艦長以下全乗員の心は嬉しさが次々に込み上げてどうしようもないくらいであった。

 これで「朝顔」の護衛する船団に被害なしという記録に終止符が打たれたが、あの荒浪狂う暗夜に、見事大型船2隻を仕止めた敵潜水艦長の腕にはホトホトに敬服した。 それと同時に敵潜の装備も着実に改善されつつあることが想像された。
(続く)

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