2009年02月12日

『聖市夜話』(第23話) 我に一夜を(その6)

著 : 森 栄(海兵63期)

 翌16日1500基隆出港、船団長はタモ19A船団、船体の一部に被害を受けていたがそれでも「浅間丸」は実によく走り、波浪によっては「朝顔」が振り落とされんばかりで、「朝顔」も久し振りで駆逐艦らしくよく走ったが、もちろん水測関係は聴音だけで、探信儀は全く役に立たず、聴音機員はいつ起こるか分からぬ敵潜の魚雷発射音に対して全神経を傾けて当直した。

 17日泗礁山にて仮泊しちょっと打合わせ、一休みして翌18日泗礁山発、19日1600六連着、かくして豪華船「浅間丸」もアッという間に無事日本に送り込んでしまった。

( 注 : 泗礁山は、上海沖約50キロの舟山群島の中の一つ、泗礁島の泊地。 また六連は関門海峡西口の六連泊地のことです。)


asamamaru_S19_001_s.jpg    asamamaru_S19_002_s.jpg
   ( この2枚の写真は 『世界の艦船』 (昭和42年12月号) に掲載されたもので、
    提供者の田名部氏によると台湾の基隆で入渠中の昭和19年4月7日の撮影
    とされています。 したがって本第23話で「朝顔」が護衛したのは、まさにこの
    写真の直後の「浅間丸」ということになります。)


 「朝顔」は「浅問丸」を門司に入れ終わり、肩の荷も軽く単独19日六連発、翌20日1000懐しの母港舞鶴に着いた。 多くの乗員にとって昨年12月末以来5か月振りの家族との再会であった。

 この過去5か月間に、「天津風」の救難、敵潜撃沈、南シナ海の雷跡4本など、色々のことがあったが、実によく走り回ったものであった。 特に佐世保を出た5月3日から母港に着くまでの17日間は、停泊日数零というレコードであった。

 これだけ息をつく暇もなく行動できたのは、主として星野梅吉、のち黒田吉兵衛機関長以下機関科員の老齢艦「朝顔」に対する赤誠愛護の賜物であったが、一方艦橋の止まり木に一直配置で泊っているような艦長にとっては 「神よ我に一夜を与え給え」 と叫びたくなるような緊張と疲労の連続であった。

 そしてこの期間の中の5月1日には佐世保において、艦長、先任将校、服部2曹などの多数が、それぞれ一階級ずつ進級した。
(続く)

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