当該話題には直接関係がありませんが、これに関連して旧海軍の機雷についてこちらでご紹介を。
ご存じのように、機雷には攻勢的用法と防勢的用法とがあります。
前者は敵の侵攻(作戦)予想経路の前提に機雷原を作り、これによって敵の勢力削減や企図挫折を狙うものです。 日本海軍としての代表的なものが、日露戦争時の旅順港前面への機雷敷設による「ペトロパブロフスク」撃沈と座乗していたマカロフ提督の戦死というのがその一例でしょう。
そして後者の代表が港湾(海面)防備です。 これについての旧海軍関係の戦後史料の例として、先に「海上護衛戦」の話題で取り上げた部内史料などがあります。
ここでご紹介するのは、GO氏のところで話題になった具体的な攻勢機雷堰ではありませんで、旧海軍の機雷やその取扱そのものに関する部内史料です。
まず一つ目がこれ ↓

昭和28年の警備隊術科学校におけるテキストです。 当時の情勢から、扱われているのは第2次大戦で使用された旧海軍及び米海軍の代表的な機雷で、これらの機雷について、構造・作動や使用法などが記述されています。
2つめがこれ ↓

警備隊から海上自衛隊となってからの昭和30年の術科学校におけるテキストです。 当然ながらこれも当時の情勢から、扱われているのは日本周辺に敷設され残存している可能性がある旧海軍や米海軍の機雷の掃海法についてのものです。
とはいえ、掃海のためには、その対象とする機雷やその機雷の用法(敷設法)が必要ですので、前半はこれらについてが説明され、後半にそれらに対する掃海法が記述されています。
そしてその掃海法も、当時の海上自衛隊が保有する掃海具及び掃海のノウハウは旧海軍のものそのままが中心です。
これらの戦後史料も旧海軍に関する貴重な史料ではありますが、何せもう50年以上も前のものであり、当の海上自衛隊そのものにもまだ残されているんでしょうかねぇ・・・・?