2009年02月11日

『聖市夜話』(第23話) 我に一夜を(その5)

著 : 森 栄(海兵63期)

 この2回の「朝顔」協力の船団は、いずれも無傷でバシー海峡を突破したが、その成功を先任参謀は特別に喜んでいるようであった。

 どうもこのバシー海峡護衛強化作戦は同参謀の発案ではないかと思われたが、「朝顔」のこの2個船団に関しては、第1回目は個有の護衛艦8隻、第2回目は5隻にそれぞれ「朝顔」1隻が加入し、合計第1回9隻、第2回6隻という威容と全周にわたる配備が、従来の護衛兵力乏しい船団に比べ、敵潜に対して攻撃しにくい状況を与えたのではなかったかと思われた。

 これは決して「朝顔」が参加したから成功したわけではなかった。 何んとなれば両船団ともただ「朝顔」を護衛配備の中に入れるだけで、「朝顔」が従来最も厳禁している定位置同速同航方式をやらせるだけであって、そのほかに敵潜の出そうな方面をかく乱するような1、2隻の護衛艦も配備していないようであったからである。

 「朝顔」のやり方をやらせるためには、やはり船団会議でよく説明し研究して置かなければ実施不可能であって、お互いに顔も知らぬような区間の護衛強化では、そんな巧妙な護衛兵力の運用は期待できないとも思われたが、またこのくらい護衛兵力がそろえば、「朝顔」方式の敵潜攪乱方式は、その必要性も少しは薄らぐものかとも思われるのであった。

 先任参謀の口から出た「朝顔」の次の行動予定の話は、基隆から門司までタッタ一隻の「浅間丸」護衛であって、疲れ切った「朝顔」に新たな元気を持たせるに十分であった。

 私は元気を出して帰艦し、背広に着換えていつもの宿屋に行き、入浴して久し振りの栄養豊富な食事をして、安心してグッスリ死んだように眠った。

 翌14日1500、単独基隆向け高雄発、台湾海峡を北上し15日0830基隆着、港内には美しい大きな姿の「浅間丸」一隻が待っていた。

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(日本郵船 「浅間丸」  『世界の艦船』 より)

 私は先任将校に言った。

 「今度は「浅問丸」一隻だ。 いつも船団側を呼び付けてばかりいるが、それでは商船側の聞き手が少ない。 今度の船団会議は「浅間丸」でやろうじゃないか。」

 そして「朝顔」幹部は「浅間丸」に乗り込んだ。 そして私はまず次の方針を述べた。

1 速力は必要のとき以外指示しない。 「浅間丸」は門司まで続く最高の航海速力を出せ。

2 針路はその都度「朝顔」が指示する。

3 之字運動はなるべく行わない方針であるが、必要と考えたときのみ指示する。

4 「朝顔」は常に敵潜の出そうな方向を攪乱するので、「朝顔」の行動に余り気を使うな。

5 敵潜情報により思い切った大角度変針を命ずることがある。


 大体以上のことを指示し、そのあと「朝顔」航海長、通信長たちが次々に詳細にわたって指示説明を加えたが、皆海上経験浅いのにかかわらず、手慣れたもので、この調子なら20隻以上の船団でさえも指揮できそうだと頼もしく思った。

 また船団側も、さすがに「浅間丸」の幹部だけあって、田舎回りの船団には見られないような、頭の働きのスマートさ、物分かりの良さで、1隻対1隻の珍しい船団会議は、たちまちアッサリと終わってしまった。 このときの「浅間丸」一等航海士は溝口貞雄氏であった。

 船団会議終われば次は上陸、乗員は既に半分ずつの入湯上陸を開始している。 私達も町外れの船越別館に行く。 この前は3月2日と3日に休ませてもらったお馴染みさんである。 浴室係の上江州さんも、部屋の女中さんたちも親切で、家族同様のもてなし、「静かで、食事良く、風呂艮し」と、護衛艦乗員の3つの希望が全部かなえられていた。
(続く)

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