2009年02月09日

『聖市夜話』(第23話) 我に一夜を(その3)

著 : 森 栄(海兵63期)

 中5日の佐世保整備期間中、4月28日林敬一郎軍医少尉が着任し、大友七三郎前軍医長と交代した。

 私は家族が佐賀市の実家に疎開していたので、予告なしに短時間帰って幽霊ではないかと家族を驚かせたが、海南島楡林の服部氏宛てのお土産に、自宅にあった有田焼の徳久利と盃を持って帰艦した。

 5月3日出渠し、そのまま同日佐世保を出港し、佐世保港沖通過の昭南行きヒ61船団11隻、指揮官16班、護衛艦8隻と合同し南下し、7日バシー海峡突破後洋上にて船団より分離し、高雄に向かった。

 この船団は、門司の船団会議にも列席することもなく、また目的地昭南まで同行するわけでもなく、約1,000マイルの東シナ海を同行護衛したという珍しい船団であったが、速力は早いし、船団11隻に対し護衛艦9隻というこれまた珍しい充実した船団部隊であって、各船団がこれくらい充実していたら敵潜も攻撃しにくいし、船団側もさぞかし力強いことだろうと思われるものであった。

 颯爽として任務を果たし終わった「朝顔」は、この護衛も成功という記録を打ち立てて、気は早や上陸の喜びでワクワクしなから、0945ころ湾口を通過した。

 ところが、湾口見張所より信号、「艦長来部するに及ばず、先任参謀艦に行く」 とあった。 「ハハア、スグ出港だな−」 と私は直感した。

 果たせるかな、いつもの岸壁には笊に入れた生糧品が「朝顔」を待っているのがまず眼鏡に入った。 スッカリ観念して1000岸壁着、私は5日振りに艦長室に降りて、歯を磨き顔を洗った。

 程なく魚住先任参謀が乗艦、「ミ03船団20隻、護衛艦8隻がバシー海峡を通るから「朝顔」は本日出港、9日夜まで護衛協力せよ」 ということになった。

 私は 「今度帰ったら、せめて一晩休ませてくださいヨ」 とお願いした。 先任参謀は 「よしよし分かった」 と返事して、忙しそうに司令部に帰って行った。

 このとき私は乗員の機敏で感の良いのには驚いた。 岩壁に横付け終わるや、岸壁上の清水吐水口の周りには、洗面器片手の入浴姿の下士官兵で賑わい、5日間の行動の垢は素早く洗い流され、下着などは手際よく洗濯され、岸壁上の洗身者は次々に交代していった。

 艦内の真水を一滴でも無駄にするまいとする健気さ、次の行動に臨機応変気持を変えてくれる乗員、これこそ護衛艦乗りの頼もしい心意気で、私はこの乗員なくしては到底この激しい任務を果たすことはできなかった。

 私は頭がボーッとしているので、5日振りに中甲板の艦長室寝台に潜り込んで出港までグッスリ短時間寝込んだ。

 当番の声に起こされ、「昨日入港したんだったかなー」 などと錯覚をした。 「朝顔」は既に燃料清水を満載し、機関長は次の行動準備が完成したことを報告し、主計長は生糧品何日分を搭載したことを報告し、軍医長は乗員の健康状態を報告し、先任将校は何時に出港しようかと相談に来る。

 1900再び岸壁を離し、やがて湾口通過、たちまち台湾海峡南部のうねりによって、「朝顔」の艦首は得意の上下振を始める。

 艦橋にいる私達はあたかも、10数秒ごとに上に下に垂直に動かされる鳥籠の中で、しっかりと止まり木をつかむ鳥に似た存在となった。

 私は先任将校に言った。

 「さっき先任参謀に約束しておいたから、この行動が終わったら最小限一晩は休めるヨ。」

 若い元気溢れる先任将校は、自分は何んでもないが、年取った特務士官、准士官、下士官までの分を代表して、嬉しそうにニッコリと笑って、「イ36、実によく使いますなー」 と言った。

 その夜洋上にてミ03船団20隻、指揮官第2班、護衛艦8隻と合同し、難なくバシー海峡を突破したあとしばらく同航、9日船団と洋上にて分離し、後単独で回航、10日0740高雄に着いた。
(続く)
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