2009年01月24日

『聖市夜話』(第20話) 恥ずかしき幸運(その5)

著:森 栄(海兵63期)

(後書1)この幸運について

 これは私たちが神より守られた幸運の記録の第1回目であると同時に、艦長たる私の大失敗の記録でもあった。 以下落ち着いて当時を反省してみよう。

 まず幸運について反省してみると、敵潜は「朝顔」が接近したころ恐らく潜望鏡を出していなかったと思う。 雷撃は聴音と探信でやったのではないかと考えられ、「朝顔」の速力を第1戦速とみて、貴重な4本をこの旧式小型の駆逐艦に使っている点からみて、ものすごく慎重な艦長と判断される。

 もし「朝顔」が両舷停止せず、6ノットぐらいで走っていたら、一番近い雷跡の魚雷が命中して行動不能になり、あと5〜10分たって第2回目の1本で轟沈するであろうことは想像に難くない。 

 また「朝顔」の送波器がいつものように順調に降りていて、敵潜を探知し損ねて、9〜12ノットで直進していたならば、恐らく魚雷2本を同時に受け、恐らく轟沈していたであろう。

 この場合、「朝顔」が傷ついても、救難にきてくれる僚艦はなく、また敵潜が第二撃だけであと「天津風」のように放置してくれる公算はまず考えられない。(「雁」の最後のように)

 結局、このような状況では、敵潜にとっても、「朝顔」にちょっとでも出血させることが完全戦勝の端緒となるものである。 送波器昇降筒の珍しい故障が、「朝顔」を救ってくれた偶然さは、神様が救ってくれたものとしかどうしても思われない。

(後書2)この失敗について

 まず私は、発見船の目測誤差ばかり考えていたが、敵潜は停止しているかのように錯覚していて、発見後敵潜が4〜6ノットで船団方向に接近する場合を全く考えてみなかった。 この項目も忘れてはならない1項目であった。

 次に結果からみると、私の計算には約3キロの誤差があったようで、目測誤差はもっと多目にみてなければならなかった。 この点護衛艦側の練度からみれば、商船側の船長以外の目測などは、想像もできないような、例えば50〜100パーセントに近い誤差もありうることに注意しなければならない。

 次に「朝顔」はこのとき既に聴音器を装備していたが、敵潜の発射音を掴まなかったのではないかと記憶している。 何しろ艦首方向をスーッと美しく通過した雷跡で、初めて敵潜の攻撃圏内にいることにビックリしたのであった。

 この「朝顔」のポヤ助に比べ、敵潜側は聴音・探信能力を全幅活用して発射したものと想像される。 もし敵潜が潜望鏡で至近距離の観測をしていたら、「朝顔」は既に総員戦闘配置に付いていたし、また見張りの練度は非常に高かったと自信をもっていたし、また当日の海上は静かであったから、大抵発見できたのではないかと思われる。 私はこの失敗後、聴音員に「発射音を聴くこと」を最高の目標として訓練した。

 最後に、通過し終わった雷跡を見て気が動転したことは私の未熱さを如実に示している。 この瞬間、自分は生きている、魚雷は外れたと感じたならば、既座に「ニタリ」として、「この勝負我のもの」と感知し反対に落ち着かなければならない。 またそれだけの普段からの胸算が立ってなければならない。

 大体当時の潜水艦というものは、その隠密性が破れた途端に、その脆弱性を暴露してくれるものであるから、護衛艦としては好機来るとしてその虚に乗じ直ちに攻勢をとって1本を取ることが戦の道と思われる。

 それなのに、予期しない昇降筒の故障ですっかり縁起が悪い感じになってしまい、次に4射線という敵の慎重さに圧倒させられてしまって戦意を失い、ついに戦勝の機を逸したことは返す返すも残念であった。

 もう一回やれと言われたら、まず静かに最寄りの雷跡に「朝象」を乗せ、舵効きのある6〜9ノットぐらいで発射点に向首し、探信儀を一刻も早く使えるようにして、ゆっくり探知して、落ち着いてキの字型投射法でもやることであろう。

(後書3)船団部隊指揮官として

 この「朝顔」の場合は、「朝顔」自身が指揮官であったが、もし「朝顔」の上に指揮官がいて、船団後方に見えた潜望鏡に対して「朝顔」を派遣したという場合には、派遣された艦はやはり同じような心理状態になるものであって、その特長は、

(1)多くの場合、敵潜位置が明確でない。

(2)敵潜は派遣された艦を斃すべく待ち構えている。

(3)派遣艦は大抵1隻で、船団から独り離れて心細い。被害を受けても、直ちに攻撃してくれる僚艦もなく、まして救助してくれるものもいない。

(4)これが午前ならまだ日没まで十分な時間があるからよいが、船団後方で悠々と潜望鏡を上げるのを発見するのは大抵午後、特に日没前が多い。 これは思うに、夜の幕が降りると俄然敵潜が護衛艦より有利となるからであって、日没近いということは派遣艦を一層いらだたせる。


 したがって船団部隊指揮官としては、「発見した、ソレ行け」 と簡単に派遣することは極めて危険であって、潜水艦狩りの上手な護衛艦ならばともかくとして、練度並の一般の護衛艦に対しては、敵潜の直上までは行かせず、船団と敵潜の略中間まで派遣し、もし餌(船団)に引かれて追及して来る敵潜がその隠密性を破ったならば、その破ったところをつかまえて斃すが、追及してこない敵潜には無理に手を出さない、というように、「敵潜撃沈か船団安全か」という選択において後者を選ばせた方が適切であると思われた。

 この点、「朝顔」指揮の船団では、常に「朝顔」自身が派遣艦となっていたので、この原則に基づいて適宜に行動することができたが、一般の船団部隊でならば、船団出港直前の会議で各護衛艦長に十分にこの原理を説明しておかなければ、単に洋上で合同したような護衛艦には到底期待できない行動である。

 「天津風」被雷の例では、まず敵潜発見の時刻が既に日没後であったこと、次に艦の長さが116メートルもあるという、2つの大きなマイナス面がまず注目される。

 当時の探信儀の性能が、もう少し良かったら上記の原理も変わってくるであろうけれども、当時の私は以上のように「船団安全」を主とする考えであった。

 そして掃討隊としてではなく、船団の護衛艦という立場で敵潜を斃すのは、餌に釣られて隠密性を暴露した敵潜を目標とすることを原則とし、船団後方の不明確な位置で待ち構えている敵潜に対しては、直上に接近せず、餌によって引っ張り出し、その隠密性を敵自らによって破らせ、そこを叩くという考えであった。
(第20話終)

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