2008年12月20日

海上護衛戦史料について

 既に連載中の「聖市夜話」で何度か出てきましたが、旧海軍の海上護衛戦についての貴重な史料として、次の一連のものがあります。

 『 海面防備(対潜・対機雷)史料 』
  同 別冊第一 『 海面防備(対潜・対機雷)関係者回想所見集 』
  同 別冊第二 『 大東亜戦争における海上護衛戦資料 』

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 元々は、戦史叢書編纂のために昭和34年頃から編纂官が旧海軍の関係者から集めたものですが、自衛隊部内の教育・研究の参考とするため、昭和47年に防衛研修所戦史室(当時)がこれらを取り纏めて3分冊の冊子として印刷・配布したものです。

 したがって、当然ながら一般には配布されませんでしたし、また現在となっては部内でももうほとんど残されていないものです。

 しかしながら、旧海軍の海面防備及び海上護衛についての研究上大変貴重なものであり、特に後者については、戦史叢書「海上護衛戦」を補完・補足するものして必須ともいえる内容でしょう。

 この方面に興味のある方がおられましたら、もし機会がありましたら是非ともご一読・ご入手されることをお薦めします。
posted by 桜と錨 at 23:01| Comment(10) | TrackBack(0) | 海軍のこと
この記事へのコメント
私は元船員で横須賀鎮守府徴用船恵昭丸乗り組み時、南洋委任統治の島々に航空ガソリン輸送後の昭和十六年十二月七日午後7時ー8時頃浦賀水道で触雷した日本貨物船(船名失念)から触雷のため500KCでSOSが発せられ・・・何故か後続通信が無く尻きれトンボになりました。
 翌朝横須賀入港の際海軍の艦艇が水路を先導・・・ラジオで開戦が報じられました。
 このことに関し個人で情報収集中ですが今日まで真相は究明に至りません。
 通常SOSをキャッチした近在の海岸局や付近船舶が救助のための交信が殺到するのですが、不思議なことに海岸局等から反応がありませんでした。独自の調査で判明したことは、当時最寄鎮守府から各海岸曲に通信将校派遣とのことで、即通信封鎖されたものと解されます。
 他方、当時海軍艦艇が機雷敷設作業中での突発事故で、同艦艇から、即無線封鎖されたため後続情報が絶たれたものかとも推察されます。
 そこで『 海面防備(対潜・対機雷)史料 』で当時の機雷敷設作業状況などに関心がありますがご助言の程お願いします。
Posted by 菊池金雄 at 2009年08月22日 15:47
 菊池金雄さん、始めまして。 「硝煙の海」共々、貴重な情報のご紹介をありがとうございます。

 防禦海面内での電波輻射は12月6日付「横須賀鎮守府防禦海面船舶航行取締規則」により禁止されておりますが、緊急通信までこれに該当するかどうかは不明です。 あるいは開戦に伴う方位測定等を含む待ち受け強化のための措置かとも考えられますが・・・・

 『海面防備(対潜・対機雷史料』別冊第1に開戦時の横須賀防備隊機雷長であった林幸市大佐の回想が収録されていますが、開戦前後の業務作業では“事故等なく無事に”とされ、当該触雷等に関する記載はありません。

 ただ、日時は不明ですが、静岡からの小型商船が航路を誤って危険界面に進入し、防潜網を推進器に巻き付けて航行不能になったことが紹介されています。 ご存じのとおり、防潜網には機雷が取り付けられていますので、まさに危機一髪かと。
Posted by 桜と錨 at 2009年08月23日 12:44
早速の関連情報ありがとうございます。実は防衛省図書館で調べてもらいましたが全く手懸かりがありませんでした。恵昭丸は当時横鎮の徴用船でしたが、開戦日や防潜網設置等の極秘情報は全く感知なく、航海科士官たちもこのSOSに対し、日本海軍どうなってるの? と不審感をかもしました。
 夜間は電波の伝播が伸びるので米軍ガム局でもキャッチ可で、開戦日秘匿がら八方極秘扱いかと推察されます。また、何かありましたらご教示願います。
Posted by 菊池金雄 at 2009年08月23日 14:19
林幸市大佐の孫です。
祖父の過去の功績をはじめて知りました。
うれしく思います。
Posted by かず at 2010年06月25日 15:46
 かずさん

 本ブログでのことがお役に立てたのでしたら光栄なことです。 それにしても立派な御祖父様をお持ちでね。
Posted by 桜と錨 at 2010年06月26日 12:47
下記の件は私も防衛省図書館で閲覧していますが、この船の船名を確認したくても、高齢のため上京不可で該図書館での調査ができませんので何方か該船の船名確認方ご支援いただけないものか衷心よりお願いいたします。
 船名がわかれば例のSOS事案も解明できると思いますのでよろしくお願いいたします。
          記
「日時は不明ですが、静岡からの小型商船が航路を誤って危険界面に進入し、防潜網を推進器に巻き付けて航行不能になったことが紹介されています」
Posted by 菊池金雄 at 2010年09月28日 20:23
管理人の桜と錨です。

残念ながら私は商船関係は専門外ですので・・・・ご来訪の方で、ご支援・ご協力可能な方がおられましたらよろしくお願いいたします。
Posted by 桜と錨 at 2010年09月28日 22:58
触雷船の船名判明 
           
 かねて情報収集中の開戦前夜、浦賀水道で触雷=SOS案件がやっと解明されましたのでお知らせいたします。 
情報提供者:五十嵐温彦氏(戦没船事績調査研究家)
 出展;横須賀鎮守府戦時日誌
横須賀鎮守府参謀長発〜軍令部次長あて通信文
  船名 共同丸(C油槽船  船主 鍵冨正作)
   該船はS16年12月7日 2320 観音崎灯台162度 3,5浬に機械室右舷前部に触雷。右舷機が故障したが浸水は少量で人員に異常なし。

補足情報
 この共同丸はS19年10月25日スルー海で昭豊丸が米機に爆沈されたとき救出してくれた船で、意外な接点に驚愕するとともに、往時を彷彿させられる・・・とにかく共同丸に移乗・・・すぐ入浴、同時に衣類を水洗いして、私は無銭局長室で休息させていただいた恩義が去来するばかりである。
  関連UEB;http://www.ric.hi-ho.ne.jp/senbotusen/siryo-deta/kogatasenpyousen.htm

 なお、共同丸はその後マニラ経由でS20年1月6日リンガエン湾において、アメリカ第38任務部隊搭載機の爆撃を受けて沈没し船員10名が死亡.とのことで、切に戦没者各位のご冥福を念ずる。

 
Posted by 菊池金雄 at 2013年11月02日 11:41
菊池金雄さん

お知らせいただきありがとうございます。
判明して良かったですね。

Posted by 桜と錨 at 2013年11月02日 16:23
実は本件の関連情報がなく・・・中には菊池のデマ・・・ではとの中傷もありましたが やっと解明され長生き冥利一入です。
 私の乗船 恵昭丸は感知していませんでしたが・・・当時この海域は電波管制が布かれ、海岸局には海軍から通信士官が派遣され、一切発信禁止だったようです。
 
Posted by 菊池金雄 at 2013年11月02日 19:47
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