著:森 栄(海兵63期)
また乗員、特に兵科准士官以上には、従来のわが聯合艦隊の定説に思考が固定しないように指導し、
「敵は日本海軍の操式教範で攻めてくるのではないぞ、操式教範はもちろん研究の土台であるが、その土台の上に我に活用できるものは新羅万象悉くこれを我に利用して敵を能すのが戦場である。」
ということを説いた。
そして、船団通過海面で俗にいう 「敵潜の出そうな難所」 については、まず海図上にて敵潜の待機しやすい海面と船団攻撃要領を想定し、これに当日の風向風速、波浪状況、太陽、月の高度その他の海象による修正を加えることを、「敵潜々在海面の予察」 と仮称し、各現場について当(副)直将校の予察能力を向上させることに努めた。
そして、「朝顔」が船団護衛部隊の全部を指揮する場合には、次席護衛艦以下を定位置につけ、「朝顔」は船団周辺に不規の運動をすることを原則として、その場その場で敵潜の近接しそうな方向に「朝顔」を先き回りさせて、見張りと探知の捜索をすることとした。
この要領は、護衛兵力が「朝顔」を含めてわずか2隻の場合でも、極力この原則に従ったが、このため「朝顔」は他の護衛艦に比べて高速を使うこと多く、私はつねに胸のポケットから長さ10センチの計算尺を出して、燃料消費を計算し目的地まで燃料が続くかどうかを心配した。
(原注) 当時の敵潜に聞いてみないと分らないことであるが、「朝顔」指揮の船団に比較的被害が少なかったのは、この要領が有効だったのではないかと戦後に回想されるところである。
したがって私が死ぬ時は、常に首からブラ下げている七倍の双眼望遠鏡と、南海の強い反射光線を和らげるためのサングラスと、この可愛らしい計算尺が私にお供をするだろうとよく艦橋で笑ったものであった。
また、「雁」において試験した露天甲板上の側幕(敵潜方位角判定を困難にさせるための)の仮設と、船体の迷彩は「朝顔」にても早速行われた。 乗員は 「今度の艦長は変んなことばかりオッ始めるなー」 と思ったかも知れないが、私は側幕と迷彩については既に玄人であったのである。
この迷彩のため、船団側乗員は「虎船朝顔」と称し、「虎船が参加すると縁起がよい」 と言われたそうである。
(原注) 大西前艦長時代も、商船側の番付では常にトップであった。
さて私が新たに指揮をとった「朝顔」は、10月22日サイゴン(Sai Gon、現在のホーチミン Ho Chi Minh City)発、23日沖合通過の331船団(13隻)に洋上にて合同し、25日まで護衛し、25日には520船団(8隻)と洋上合同し、これを27日サンジャック(San Jacku 又は Saint Jaques、現在のブンタウ Vung Tau)に入れ、翌日同地発、河を上ってサイゴン着、ここで暫く休養ができた。 サンジャックというのは、メコン河の河口であって、サイゴンまで河を遡航すること約40海里ぐらいであった。

(サイゴンとサンジャックの位置関係)

(現在のブンタウ Google Earth から)
次いで11月3日サイゴン発、同日サンジャック着、翌日439船団(8隻)を護衛し11日高雄(台湾)着。 ここで暫く休養するうち、15日付で南西方面艦隊から海上護衛総司令部の第一海上護衛隊に編入された。 次いで20日220船団(7隻)を護衛し高雄発、洋上分離21日高雄着、同日別船団追及を命ぜられ高雄発、22日追及中止北上23日基降着、「鴨緑丸」1隻を「朝顔」1隻にて護衛し翌日基隆発27日門司着、翌日発29日舞鶴着。
私以外の乗員にしてみれば、17年10月以来13か月振りの母港であった。 翌日から12月18日まで入渠して水中聴音機と対空電探を装備した。 私は舞鶴工廠内の潜水艦部を連日訪問し、敵潜の代りに日本の潜水艦図面を借りて、その船体構造、諸性能を調査し、爆雷戦のグラフ用紙に彼我の運動を記入し、爆雷散布帯の有効性を検討したが、この研究は以後の貴重な参考となった。
(原注1) 大西勇次前艦長は戦後病没されたが、その前私は同氏の「朝顔」回想を頂きながらすぐ公表することができず、渡伯前ようやく戦史室の史料に載せることができたが、時既に同氏は亡くなっておられ、誠に申訳ないこととなった。 そしてご遺族を捜したがそれも不明であったので、もし読者のなかでその消息を知る方あればご一報賜わりたい。 同氏の元の住所は兵庫県揖保郡新宮町段の上であった。
(原注2) 杉原与四郎前々艦長の略歴は、16年4月10日「朝顔」、10月15日少佐、17年4月25日退艦、6月上旬「皐月」、18年5月下旬「初雪」、7月17日ショートランドにて退艦8月上旬「五月雨」、19年1月下旬退艦3月始「朝霜」、11月1日中佐、12月27日サンホセにて退艦、(このあと不明)20年4月4日戦死、というふうに、戦時中実に5つの駆逐艦長を歴任した貴重な存在であって、私達のような若い「駆け出し」にとってはまことに驚異的な大活躍であった。
(第15話終)