2008年11月25日

『聖市夜話』(第13話) 横田新艇長に引継ぐ(その1)

著:森 栄(海兵63期)

 18年4月25日初めて敵潜を撃沈した「雁」の士気は、俄然最高に達した。 新米艇長の私が着任して以来7か月目であった。 それまでは空から爆撃されるばかりで、何ら士気を揚げることができなかった。 とにかく、戦場で敵艦を撃沈せるものは殊勲甲、最高の栄誉であることを乗員一同はよく知っていた。

 この栄誉、この自信の上にさらに磨きをかけることは、艇長として最も容易であった。 私は戦術面で従来軽視されがちであった対潜対策に関して矢継ぎ早やに色々な細目を決めて訓練を重ねて行ったが、残念ながら私が退艦するまでの約2ヵ月間には敵潜は再び「雁」の前に出現してくれなかった。 しかしこの最後の2か月間で私の脳裏に深く刻みこまれたことは、「一度敵潜撃沈の味を覚えた艦は強い」ということであった。

 私は着任以来、色々新しい方針を与え、実施要領を与え、訓練をしてきたようなことは、細かいことでも気軽に「艇長令達簿」に書き残されていて、これが年月日順序に綴られていることも、昔をふり返えり昔のことを訂正するにも便利であったし、いつでも次の艇長に引継ぎできる準備ともなっていた。

 この対潜要領の中の一つに、至近距離で艦首方向(左右30度以内)に発見した敵潜に対しては、向首増速衝撃で撃沈する。 この場合、前部艦底は浸水することを覚悟するので、防水措置に関しては平素より予備浮力を維持するように対策を怠らないこと、という件があり、当直将校にも機関科にも艦内一般にも徹底訓練していたが、次の横田艇長の時代の初め頃、この手で一隻現実に撃沈したということを風の便りで「朝顔」で聞き、我がことのように喜んだことがあった。

 この時「雁」は予想どおり艦首喫水を沈めて基地に帰投した由であるが、その基地が昭南だったか彼南だったかは聞き漏らしたが、記録により19年2月昭南ではないかと推定される。

 18年5月頃私に内報があり、横鎮付となり水雷学校高等科学生となり、近く再び海上第一線に出されるように想像されたが、昔の先輩のように英語、数学などを始め軍事学について試験されることもなく、このように無試験でお上の指名で念願の水校高学生に採用されることの光栄さに感激した。

 しかし、「雁」水雷艇長時代の新米艇長振りを自ら振り返ってみると、命懸けで苦労したこと、勉強したこと、真剣に考えたこと、部下を引っ張ってきたこと等に関して貴重な体験が少くないことを思い、これなら無試験の価値もありそうにも思えるのであった。 そして、この土台の上に更にに水校で勉強できたら駆逐艦長としての第一歩を上手に踏み出せるだろうという自信も湧いてきた。

 後任の艇長は、高等商船学校出身の予備少佐の横田志茂喜氏であることが分った。 私より約10歳は年上のようである。 予備士官たちの噂では勇壮な人であるとのこと。 それならば私がお預りしてきた可愛いい「雁」をお渡ししても安心して日本に帰れるとも思い、また私の時代よりもっと多くの戦果を挙げられるであろうとも思われた。

 噂の後任艇長は彼南に着き待機するうち、「雁」は18年6月10日(記憶)に入港し、早速艇長交代し、この全身に溌剌たる英気の溢れる横田少佐の時代はここに始まったのである。

 私は「雁」を退艦しマレー半島を汽車で昭南に達し、昭南でラングーン対空戦闘時の入院患者を見舞い、昭南から空路福岡に着き、あと陸路横須賀に達したが、他の学生は全部揃って、入校式も既に終っていた。
(続く)
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