2008年11月15日

『聖市夜話』(第12話) 神よ与え給え(その3)

著:森 栄(海兵63期)

 「雁」が加わったので、今まで心配されていた問題である「敵潜浮上脱走時の追撃艦」が直ちに「雁」に指定され、これは私のみならず200名の「雁」全乗員の士気を上げた。

 「雁」は19,000馬力の主機械を持ちながら、私が着任してからというものは停泊中空の上から爆撃されるだけで、およそ敵に対してはこの馬力を使う機会に恵まれず、ただ修理のため昭南に急行する時にだけ有効に使ったようなものであったからである。

 作戦打合わせ終って「雁」も直ちに制圧海面に参加し、90度幅の一つの象限を担当した。 航海長と水雷長が海図上に詳細な探知計画を記入し、この計画針路を次々に進んで、探信儀で発信音を数秒毎に「カーン」と発し、敵潜船体の反響音の「カーン」という音を探し出すのであって、「草の根を分けても」という形容がピッタリしていた。

 制圧海面の中心点は、最新の敵潜位置に採られ、以後の敵潜聴音探知情報が入るごとに新しい地点に移されて行ったが、天気平穏でうねりなく波も弱い海面での吊下式聴音機は、取扱員の適切な運用によって予想外の成績を発揮したようで、数時間ごとに敵潜の移動が他の哨区から報ぜられた。

 この時私は吊下式の長所は海中深く吊下することのできる点で、「雁」などが前部の船体舷側に、「八つ目鰻」の目のように固定している受音器に比べ、本質的に優れているのではないかと思うのであった。 古い兵器もその着想が違う場合には、世間体には古くともその一部の長所を保続して研究開発して行くと、良い兵器が新しく産まれてくるような気がする。

 吊下式の弱点は波のようであった、波による振動、振動による雑音さえなければ相当によく聴えるということを開いた。 私は今でもこの海中に吊下できるという点に興味を抱いている。 「雁」が現場に加入してからこの四方固めの制圧は頼母しさを加えた。 もうこうなればあとは時間の問題である。

 「雁」の探信儀の性能も連続試してみて好調であった。 私は性能に最も影響する要素として、艦速を9ノットぐらいに落したように記憶している。 特設駆潜艇のように停止して探信すれば最高の性能が発揮できそうであったが、これでは広い担当海面がいつ終るかも知れないし、また「雁」の全長は余りにも長く、皮を切らしてかつ斃されてしまうに決まっている。

 もし私が敵潜艦長であったならば、日没後の薄暮を利用し潜望鏡を上げ、頭上の艦の中で最も高速らしい「雁」を選び出し、まず「雁」を雷撃して斃し、その混乱に乗じ特駆潜担当海面の方向に浮上し、砲戦を交えながら西方の印度洋への逃走を強行するであろう。

 ・・・・ということは逆に「雁」の立場からいえば「雁」は探知捜索中も敵潜から逆に刺されることを、敵潜艦内酸素が終りに近づくにつれ、ますます警戒しなければならないということであって、探知速力9ノットならマアマア舵の効きも良さそうに思えた。

 この場合の艦速の決定は探信儀の性能発揮と、被雷撃時の緊急回避時の舵効きとの兼ね合いであるが、前者については固定的なものがあるが、後者については艦橋の操艦によって非回頭側の主機械の急増速とか、回頭側の主機械の逆転とかの方法で補足のできる点がある。 この点からいっても、操艦者の雷跡見張、聴音機による魚雷音を素早く知ることは不可欠の条件であった。

 「雁」が「カーン」と探信儀を打ち鳴らしながら哨区を歩き、草の根、岩の影でも分けて捜し出そうとしている時、他哨区では敵潜聴音の情報が3回ばかり報ぜられ、中心点はその都度変更されたが、敵潜行動はいよいよ終末に近づきつつあるように思われ、一般性能からみて艦内酸素も終りに近づいているように計算された。 こうなると潜水艦というものはまことに辛いものである。 私は敵潜艦内を想像し顔全体に油汗をかき、肩で心細く呼吸をするような思いであった。
(続く)

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/22899714
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック