2008年11月13日

『聖市夜話』(第12話) 神よ与え給え(その2)

著:森 栄(海兵63期)

 敵潜出現の現場では貨物船被雷撃の報により、現場最寄りの彼南(ペナン)から敷設艦「初鷹」と特設駆潜隊1隊(私の記憶では3隻か)が現場に急行し最新の敵潜の位置を中心として既に四つ固めに抑え込んでいた。

( 注 : この特設駆潜隊は、第9特別根拠地隊所属の第91駆潜隊で、この時は特設捕獲網艇「長江丸」、特設駆潜艇「第7昭南丸」「第12昭南丸」の3隻で参加しています。 なお、これらの特設艦船については、相互リンクをいただいているNH戸田S.源五郎さんの素晴らしいサイト「大日本海軍特設艦船」の当該ページをご覧下さい。)


 「雁」が到着したので「初鷹」艦上で指揮官会議が行われ、私は初めて「初鷹」艦長(中佐)(吉川唯喜 46期) と特設駆潜隊司令(応召中佐)(名を伏す 36期)とに挨拶を交したが、前者は私より10数年上の兵学校先輩で、後者は20数年上の同じく先輩で、前後者の間に約10年近くの差がありそうであった。

 この3人の中の大先輩である老司令は、子供に近いような「初鷹」艦長から、軍令承行令の定めるところにより、作戦指導されることが愉快でないらしく、また性格的にも万事大人しそうな「初鷹」艦長に対して積極的な性格であるという点も加わって、事毎に作戦指導に強い意志を表明していたらしかった。

 そこに私(大尉)のような若造が加入してきたので、老司令は私を味方に引き入れて、2対1で「初鷹」艦長に対抗しようとするのではないかと私をして疑わせるような感情が読みとれた。

 私は一方にはこの老司令が祖国を遙かに離れた西海の第一線において、若い者に範を示されるそのご元気振りには敬意を払いながらも、一旦軍令承行令によって定められたことに対しては、やはり我々の共同の先輩として、いかに年若い後輩であろうとも、「立てるべきは立てる」 という帝国海軍の美風を守ってもらいたいものと思った。

 しかし他の面において、応召の大先輩を配員するには、このような場面が起こらぬよう、もう少し考慮の余地が残されているのでないかとも思われた。 老司令は20歳ぐらい若返って、隻数を一番沢山持っているのは我輩であるといわんばかりのお元気さを発揮されたが、その部下である特設駆潜艇は速力も遅く、また対潜捜索兵器としては前時代的な吊下式聴音器という代物しか持っていなかった。

 これは四つ手網の骨組のようなものの同一水平面上に炭素板(?)による聴音箱を6個取付けていて、艦を停止して海中に吊下して聴音するものであるが、走りながら聴音することのできない根本的な弱点を持っていた。

 一方「初鷹」は確かご紋章をもつ軍艦に属しており、1隻で所轄をなしており、副長には私も旧知の私より1級若い税所基大尉がおり、対潜兵器については最高ではあったが、最高速力20ノットで「雁」の30ノットには遠く及ばず、また砲力においても「雁」より微力(主砲40ミリ)であった。 したがって、こと対潜作戦に関しては総合的にみて「雁」、「初鷹」、駆潜隊の順序に強力であったが、格式からみると「初鷹」、駆潜隊、「雁」の順序であった。

 私がもし当時少佐にでもなっていたら、もう少しは均衡がとれたかも知れないが、一番強力な「雁」の艇長が大尉であったことは、何かそぐわない感じであった。 この間題は次の駆逐艦「朝顔」に着任した時にも尾を引いて感じられたことである。

( 注1 : 特設駆潜艇が装備していたとされる「吊下式聴音機」については、その詳細は判りません。 『海軍水雷史』(編集会編 昭和54年 非売品)でも、「水中測的兵器」の章で、
  「特設駆潜艇、特設掃海艇等の応急用として吊下式水中聴音機(炭素型捕音器6個を1m円配列とし舷側より吊下するもの」
 とだけあるのみで、旧海軍史料である『対潜兵器要覧』(横須賀海軍工廠)にも記載はありません。 もしご存じの方がおられましたらご教示下さい。)


( 注2 : 「初鷹」と「雁」の対潜兵装については、HP「海軍砲術学校」の「史料展示室」で公開中の旧海軍史料「一般計画要領書」の当該項をご参照下さい。)

(続く)

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