2008年11月11日

『聖市夜話』(第12話) 神よ与え給え(その1)

著:森 栄(海兵63期)

 戦争を知らぬような平和郷昭南。 英国が築いた赤道直下の涼しい美しい町。 2月に受けた被爆後の一通りの修理も終り、あとは26名の人員補充と砲身1本の内地からの来着を待つばかりとなった。

 例によって夜幹部数名と共にジョホールの海軍宿舎に行き浩然の気を養う。 宴たけなわとなった頃私に電話あり、地元の昭南10特根参謀の声である。

 「マラッカ海峡西口で、昭南からスマトラ島メダンに進出の陸軍部隊を搭載の貨物船、敵潜の雷撃を受け沈没。 取り敢えず9特根ペナンの特設駆潜隊および敷設艦「初鷹」が現場に急行しているが兵力十分でない。 君のところは乗員も減っているし、大砲も一部使えないことは承知しているが、艇長どうするかね?」

 という問合わせであった。

 私は着任以来丁度2ヵ月毎に爆撃を受けるばかりで、何等の戦果なく、このままでは一艦の士気は低下するばかりであることを憂いていた矢先であったので、良き敵ござれと小躍りして答えた。

 「是非行かせて下さい。 敵潜の1、2隻ぐらい今のままで十分です。」

 即座に明日日出後出港と決定した。 これは昭南港口に我が方の機雷堰あり、夜間の出入港は禁じられていたからである。 伴に飲んでいた幹部と勇躍して急ぎ帰艦し、行動準備は深夜まで続けられた。

 翌早朝、日出を待たずして昭南軍港出港、油を流したようなマラッカ海峡を24ノットで走る。 流石に高速艦、早くも海峡西口通過。 現場も近くなり、浮流物の中に溺死した陸軍軍馬を見る。 髭の航海士と共に、乗馬訓練に借用していた斎藤弥平太中将の部下である軍馬と思うと、心は痛みこのまま通過するに忍びない。 また大きな体がなおさらに痛ましい。

 次いで陸軍兵士の遺体が流れてくる。 馬を収容する暇はないが、人間様は放っておく訳にはいかない。 中部上甲板に収容する。 2日ばかり経っているので腐臭がひどく、こちらの頭が鋭く痛む。 計3体、軍装のままである。 上陸地メダンを目の前にしてさぞかし無念のことであったろう。

 聞くところによれば、マラッカ海峡西口からメダンまでは割に近距離であり、最近敵潜の情報もなく、かつ昭南に護衛兵力乏しきため、この貨物船2隻のスマトラ進出には護衛艦が付けられなかったようであって、久し振りに出てきた英国またはオランダの敵潜は、この虚に乗じて、日本輸送船1隻撃沈に成功したもののようであった。

 「陸軍さんは一度陸に上がったら存分のご奉公ができるが、海を渡っている間が一番怖い。」 とよく聞いている。 収容した遺体はいずれも無念の形相が一杯である。 軍医長と看護員は落ちる汗を拭う暇もなく、遺体の全身に大幅包帯を巻き、名札は切り取って報告用に残す。 私は傍で戦死したこれら戦友の無念さを想い、にっくき敵潜只ではおかぬぞ、神よ!この敵潜を我に与え給え!と心の中に絶叫し続けた。

 ところがこの艇長の心も知らず、戦死者処置の上甲板を取巻く私の部下の中に、鼻を摘んで「臭い臭い」とふざけ顔で叫んだ者があった。 私は涙をおさえて大喝して怒鳴りつけた。

 「戦死した戦友を、臭いとは何事か! そんなことでは敵潜は貰らえんぞ!」

 日頃滅多に大声を出して怒ったことのない艇長が、形相凄じく突如として若い兵隊に直接怒鳴りつけたので、現場に居合わせた古い兵曹達は若き艇長の胸中を知ったようであった。

 工作科員がす早く造った棺の四方に、径約4センチの孔が多数開けられ、「雁」の主砲12サンチ砲弾1発ずつを抱かせ、ラッパ隊と弔銃隊によって夕陽西の水平線に傾かんとするマラッカ海峡の上に、厳かな海軍礼式は行われ、各棺は次々に艦尾の後波の内に呑まれていった。

 「陸さんの霊安かれと、一尋礁」
 「神よ願わくば我に敵潜を与え給え」

 と心に祈りながら、さらに遭難現場に針路を向けた。

(注 : 当該貨物船は日付及び海域から、昭和18年4月22日に被雷、沈没した山下汽船(扶桑海運)所属の「山里丸」(6,625総トン)であり、雷撃したのはオランダ海軍の潜水艦「O21」と判断します。 ただし、他の記事などを見ると同船の目的地は“メダン Medan”ではなくて、スマトラ島西岸の“パダン Padang”となっているものもあります。)


yamasatomaru_2s.jpg
( 「山里丸」 「世界の艦船」平成16年1月号より )
(続く)

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