2008年11月10日

『聖市夜話』(第11話) ニコバル群島(その2)

著:森 栄(海兵63期)

 さて、これとは別の機会に、昭南からスマトラ島のメダン港まで陸軍下士官以下数名を便乗させたことがあった。 「雁」自身は別にメダンには用事はなかったが、どうせメダン沖を通って西行するのであるから行きがけの駄賃にちょっと港内に立寄って、投錨することなく漂泊して「雁」の内火艇で便乗者を近くの桟橋に送るつもりであった。

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 メダン港というのは川の口であって上流から海に注ぐ流れと、海の潮流とがブツカって不規則な流れを呈している。 港内に入る前から私は当直将校から操艦を受取って色々な陸標を狙いながら舵と機械を使い、港内の一点に漂泊し、かつ出港方向に回頭しながら便乗者揚陸次第迅速に出港する予定でいたが、港内の風と流れは「雁」を思いもよらぬ方向に押しつけて寸秒も安閑としておれなかった。

(注 : 本項では「メダン港」となっていますが、メダンは内陸都市で、その外港が現在のベラワン(Belawan)です。 当時このベラワンのことをメダン港と呼んでいたのかどうかはわかりません。)

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(ベラワン付近 1954年版の米軍地図から)

 こうなると一艦の長も一個の大型トレーラーの運転手と同様であって、陸軍便乗者たちの上司である貫録堂々たる陸軍大尉殿とは本質的にその仕事の内容が違うものであった。

 この時、伍長か軍曹であった先任者を先頭として陸軍便乗者全員が狭い艦橋に次々に上がってきてしまった。 その先任者は、羅針儀の方位杆と陸標を狙っている私の近くまで進んできて陸軍式の大声を張り上げ出した。

 「艇長殿! 申告をいたします!」

 私はこのとき申告というものを予期していなかった。 もし予期していたらメダン入港約1時間前ごろに艦橋に申告に来るようあらかじめ指示していたであろう。 艇長である私にしてしかり、まして艦橋にいた若い信号員、見張員たちは何が始まるかとて好奇心で目は輝きニコニコし始めた。

 私は気が急いで、「早くやれ」と機械的に命じた。 先任者は、頭のなかで起案してきたらしい次のような長い文章を艦橋一杯に鳴り響くような大声で堂々と申告し始めた。

 「陸軍軍曹〇〇〇〇以下○名、〇月〇日昭南において乗艦し、〇月〇日メダンにおいて退艦するまで〇日間便乗させて頂きありがとうございました。申告終り。」

  申告の終るのを待ち構えて私は急いで言った。 「書類は貰ったか? それなら早く内火艇に乗れ。」

 内火艇は舷側に横付されお客さんを待っていた。 内火艇の準備は便乗者が艦橋に上がってくる頃すでに完了していたが、何日聞かの艦内生活でお互に仲良しになっていた間柄では、いつもの海軍式に 「急げ!駈け足!」 と怒鳴りつける人もなく、新任地に出発する陸軍さんの武運を祈って総員帽子を振って見送るのであった。

 無事陸軍さんを陸上に送り届けて帰艦した内火艇を収容し、一路ニコバル群島の方に艦首を向けてから私は艦橋当直員の若い乗員たちに話した。

 「皆いまの陸軍の申告というものを知ったと思うが、海軍の習慣と違うからといって笑ってはいけない。 そもそも陸軍は海軍と違って沢山の隊員を広い陸上に平面的に並べることから始まるのであるから、何事も声大きく、態度厳正に、堂々と行うように躾られて行く。 これに反して海軍は狭い艦内の機械の間に立体的に配置されているから、何事もその時と場所に応じて必要にして十分で適当な声を使わねばならない。 また申告をする時機と場所も適切に選ばねばならない。 この適時適切に行われて過度にならないことを “スマート” と言うのである。」

 私はこの頃から、「礼儀を正しくする」 ことをむやみに強調することには考慮を要すると思った。 軍人にとって礼儀正しいことはもちろん大事ではあるが、むやみやたらに強調すれば形に流れやすくなる。 それよりもよく説明を加えて精神面を主とし、形を副とする程度で良かろうと考えた。 要するに軍人は戦に勝つことの方が最高の使命のように思えた。

 ニコバル群島方面の海上と天候は平穏そのもので、高速艦「雁」は気持良く走り続けた。
(第11話終)

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