著:森 栄(海兵63期)
血染の海戦記(続き)
被爆直後、破口が余りにも多いのでペンキで印を付けながら破口の数を調べさせたところ、水線付近85、水線以外約200、合計285であった。
敵は今度は瞬発性着発信管付の約30キロ爆弾約200を投下したものと推定されたが、今度も命中弾なく、至近弾は弾着3群に分かれ艦首100メートル、艦尾50メートルと200メートル付近と記憶しているが、これらが全部海表面で炸裂したため、露天甲板の多数の人員を殺傷し、私の腰掛けていた信号台のパイプを曲げ、また私の下約2メートルにあった艦橋の大型望遠鏡の対物鏡も粉々に砕いていることがわかった。
木栓を打ち直している間、私は居住区を順々に回った。 今まで新着任者の寝る所がないとて私を悩まし続けていた艦内が、一挙に広々となり、各居住区には早くも祭壇が飾られ、木の香も新しい位牌に線香の煙が漂う。
「許せ! 若き艇長を許せ!」
私は心に泣きながら寂しい全居住区を回り、涙を押さえながら上甲板に出、折椅子に座った。 低い雲は異様にイラワジの月は恨めしそうに輝いていた。 長かった今日一日を振り返り、大きい深呼吸をする。 これが生きている証拠か。 中池水長の霊よ、今何処。
新しい従兵が旗甲板の丸テーブルの上に忘れていた「海戦」を持ってきてくれた。 その274頁「神や守る」の頁は、鮮血をもって染められた。 この血は1番砲員長山本隆二上曹のものか。
「神よ守れ、わが「雁」を護り給え。」
注1 : その夜のニューデリー放送は再び言った。 「巡洋艦「雁」は本日ラングーンで大破しました。」 今度は巡洋艦に進級していたが、誰も涙を押さえることで一杯で、一盃やろうと冗談を言い出す者さえなかった。
注2 : 「雁」は終戦直前南海に散った。 この血染めの海戦記は、「雁」が私に残してくれた唯一の遺品となり、今私と共にブラジルに来ている。
注3 : 当時私が家族に送った古い手紙の中に次のような記録が出てきた。
『 昭和18年2月16日付 長男忠重(当時3歳)宛て発信「雁」艇長従兵、水兵長中池末次郎が、昭和18年1月31日航海中艦橋前にて
刈りくれたる頭髪なり。 中池水兵長は翌2月1日対空戦闘にて重傷を蒙り、
遂に戦傷死す。
雁水雷艇長 森 栄
中池水兵長本籍地
大阪府堺市金岡村大字長曽根627
同 兵籍番号 呉徴水39739 』
注4 : 同じ状況でもう1回やれと言われたら、私は入港後日没まで、投錨することなく河の中を何回も上下して時を費すであろう。容易ではないことであるが。
(第8話終)