この帝国海軍西方第一線の同じ12特根麾下に特設砲艦「江祥丸」がいて、同艦と「雁」は常に司令部に呼ばれて、次々の作戦行動を命ぜられては、お客を乗せた人力車が梶棒をとり上げて健脚に物言わせて走り回るように、同じ車引き稼業の兄弟分であった。
( 注 : この「江祥丸」については、排水量1,365トン、元々は名村汽船所属で、昭和19年5月22日にペナン沖にて雷撃により喪失したこと以外はよく判りません。 もし要目、船型ご存じの方、写真等をお持ちの方がおられればご教示をお願いします。)
( 注2 : ↑でお願いしましたところ、早速HN戸田S.源五郎さんから氏のHP「大日本帝国海軍特設艦船」に写真と戦歴が掲載されている旨ご連絡をいただきました。また、同HPのリンクにあるサイト「戦没船データベース」では同船のより大きな写真が見られます。ご教示ありがとうございました。)
同艦は貨物船に砲装したものであったので、速力遅く、大砲機銃以外持っているのは爆雷ぐらいであったが、生れながらのズバ抜けた大きな輸送力をもっていたので、各離島に陣地を拡充しつつあった12特根としては、「雁」と共に最も有用な海上兵力であった。
「雁」が喧嘩担当とすれば、「江祥丸」は運び担当であって、この2隻を組にして使えばお互いの性能を安全確実に発揮できそうであったが、隻数唯の1隻ともなると、いきおい各個別々に単独行動させられっ放しで、時々親爺の膝下で顔を合わせては、夫々の苦楽を慰め合いお互いの武運長を労り合っていた。
同艦々長小田寿夫大尉は、「雁」の先任将校、砲術長、機関長付と同じく高等商船学校の出身でそれらの先輩であったが、一見豪快明朗でありながら、内に永年の海上経験で鍛えられた緻密な計算と周密な備えがあり、部下を労われ艦内には常に明朗でいかなる困難に立ち向かってもビクともしない豪気さが漲っている。
高速新鋭で七つ道具を揃えた「雁」からみれば、砲装以外裸同様の「江祥丸」が、いっやられるか、いつやられるかと心配に堪えなかったが、「雁」はヒドイ被害を受けて昭南に行くのに比べ、「江祥丸」は武運強く次々の作戦行動を大胆にこなして司令部の命令に克く応えたのであった。
危険な任務を終って帰投した小田艦長の明るい楽しげな土産話を聴くたび、私たちは艦長の逞しさを教えられ、未知の海域の珍しい話に興味を湧かせ、次には2隻で仲良く行動したいものと希望しながら、ついに敵情はこれを許さなかった。
小田艦長の話を聴いていると、小艦艇の指揮官にとっては面倒臭い戦務などよりも、彼我の情況に臨機応変の何物にも捉われない工夫、些細な徴候も見逃さない戦機の看破、大敵なりとも恐れない勇猛心などの項目の方が、さらに優先して要求されるものではなからうかと思われることであった。
この小田艦長のみならず、私はその他の第一線の特設掃海艇長、特設駆潜艇長など(これらは全部商船出身士官であったが) に会って情報を交換する時、上記の項目に照し合わせて各個の指揮官の特性を感知したが、
1.尽忠奉公の念は等しく旺盛で、光栄ある軍職を汚すまいとする一念は、現役士官に決して劣るものではなかった。
2.商船出身士官は、概して同配置の現役士官より約5年ないし10年の年上であったので、海上経歴長く、海と船の性質を知り抜いてこれらを利用することにかけては 一日の長があるように思われた。
3.しかし一方海軍々歴浅きため、彼我兵器の性能を知ること、自分の装備兵力を活用すること、戦務を適正に処理すること等については研究の余地も見受けられ、そしてこれは当然のことであったが、反面却って海軍が長年培ってきた軍隊組織、軍規風紀、階級制度、一般の習慣などの形に捉われない自由な発想、別個の一種の霊感を持っているようであった。
4.また商船界における幹部士官としての経験は、部下の統率面でもよく発揮され、これに当時世界第一級と評せられた特務士官、准士官、下士官兵がよく組合わされていて、 困難な任務によく耐えていた。
5.特に戦務に関しては、海軍の緻密さが長年にわたって物事を区分、細分してきたので、商船出身士官にとっては等しく苦手だったようであった。これでは折角の発想を文書、電報上に表現することを億劫にさせる結果を招き本末転倒となる。戦務の形ももちろん大事ではあるが、それにも増して特に第一線の各艦艇長たちの状況判断は司令部のより欲しい要素であろうと思われた。
したがって戦務の形を決める場合には、常に戦時召集員の存在を念頭において計画されることが必要であると感じた。
17年12月上旬、私たちが敬愛した小田艦長は退艦し、二瓶甲少佐が「江祥丸」砲艦長に着任されたが、同少佐は小田艦長より更に先輩の高等商船学校出身のようであった。 「雁」艇長が若くなって行くのに対して、「江祥丸」艦長が反対に古くなってゆくことは更に困難な戦局の前途を思わせるものがあったが、その後はこの僚艦と共に巡り会って馬鹿話に花を咲かせる機会も無くなって行った。
知りました。祖父は好々爺のまま、殆ど戦争の事を話さず
じまいで他界しましたが、その軌跡を追って、戦争の事を
色々と知っておこうと思っています。
ご来訪ありがとうございます。 森栄氏の「聖市夜話」、ご祖父様から引き継いだ次の艇長での話しですが、どうかじっくり楽しんで下さい。