2008年10月30日

『聖市夜話』(第6話) 艇長“鳩の巣”

著:森 栄(海兵63期)

 約190名(注)の部下の心もようやくわかってきた。 私は暇あれば折尺をもって露天甲板を歩き回り、偽装側幕の新設を指示するほか、爆雷砲台、主砲機銃周辺の余積を捜し尽した。

( 注 : 「鴻」型の内令定員表では、艇長以下128名ですので、単独艇増員を考慮しても相当に多い数です。 これが機銃などの増設分なのか、外地派遣艇としての必要性からなのかは分かりませんが、ともかく第5話でも書きましたように、規定上と実態とにはかなりの差があるものあるという例です。)


 これは帝国海軍の零戦乗りたちが技術者たちと一緒になって、世界に類の無い名戦闘機を作り上げたと同様に、我々水雷屋も造船屋と一緒になって、最も使い易い水雷艇を作らねばならぬという強い考えに出発したものであった。 また一字銘水雷艇は、寸法、馬力からみて、この考えの基準とするのに丁度良い大きさと思われた。

 その所見は次のような点であった。

1.主砲仰角55度は90度近くまでしたい。

2.機銃は水鉄砲の水のように故障なく連続弾幕の張れること。数ももっと欲しい。

3.爆雷定数は3、4倍にしたい。

4.敵潜の雷撃を回避する性能としては、舵効きをもっと良くし、艦橋のボタンを押せば、非回頭側の外舷正横に側板が突出すること。

5.同じ目的のため、保針性能をたとえ犠牲にしても回頭性能を良くするため、前後部を高く中部を低くした竜骨とすること。

6.居住区の構造は、ブザーから戦闘配置につくまでの秒時を短縮することを第一義として設計すること。この種艦艇では、平時勤務、外交儀礼などの便は軽視する。例え乞食小屋風になっても構わない。
 (注) 哨戒行動中、砲員を砲側に寝かせて実験したところ、スコールで砲員を濡らして、やはり仮設では永続性のないことがわかった。

7.同じ理由で、中甲板の艇長室は不要、艦橋に1つあればよい。また居住区階段も、もっと傾斜緩やかに幅広く方向を考え、配置につく秒時を短縮すること。

8.俗に “鳩の巣” と呼んだ檣楼は、艇長自身が雷跡見張りと措置をするのにも最良の位置であること。
 (注) 私は “鳩の巣” を愛用した。 当直将校の申継は簡単に「艇長鳩の巣」で済んだ。

hatonosu_s.jpg
(前檣見張所、“鳩ノ巣” 「軍艦メカ 日本の駆逐艦」より)

9.敵潜側の測的を困難とさせるため、専門家による迷彩を施すほか、上部構造物に正横面を作らないように設計すること。

10.回頭性能を上げるため、多少速力を犠牲としても、中部船幅を大きくしても差し支えない。

11.「缶2缶、1缶全力24ノット」という性能はきわめて便利。

12.全長約80メートルはこの辺が限度。


 大体以上のような所見であったが、戦後、「はるかぜ」艦長となって、2枚舵が採用されていることに喜んだのである。

 私は “鳩の巣” に上り、斉藤著「海戦」を読み耽った。 明快にして簡潔な名文は、直ちに私に教えるものばかりであった。 紺碧の空、緑濃き椰子の島々、油を流したような海面に時々線を引く飛魚、「人間共はなぜ戦争をするのであろうか」 と、平和な大自然が呟いているようであった。

 また思う、このままでは敵に主動権を握られているのではないか? 「雁」を使って印度半島東海岸に殴り込みをかけ、B24の勢力を船団護衛に分散させてはどうか。 私は第一次大戦ドイツの「エムデン」艦長になったように、この作戦を海図上に展開した。

 ポートブレヤ西方沖を日没前に出発、夜半英国船団航路に達し、約2時間暴れて帰途につき、翌朝日出後帰投という計画は、速力燃料からみて可能ではあったが、敵船団位置不明では、折角の行動が獲物無しとなる。

 せめて、敵がビルマ、ポートブレヤにスパイを置いているように、わが方もセイロンとカルカッタにスパイを置き、両港の北上南下船団の出発が判明するならば、と思うことであった。 ポートブレヤに入港した時この計画を提案したが、先任参謀は同意しなかった。

 当時敵のセイロン隊は余り出現してこなかったので、わが哨区南端のサバン島は敵の攻撃圏内であるとは言え、私たちの一番嬉しい憩いの港であった。

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(2008年現在のサバン島 Google Earth より)

 サバン島は可愛いい島。 中央部が湾になっていて、湾口狭く、港としては良かった。 港湾防備はまだ進出しておらず、いつ湾口から雷撃されるかわからぬ危険性もあったが、陸上には我が海軍航空隊が少し進出していて、西方印度洋の哨戒に当っていた。

sabang_is_city_2008_s.jpg
(2008年現在のサバン島主要部、上が市街地 Google Earth より)

 上陸して一本の町筋に店屋が並ぶ。 「雁」の入港する度にブドウ酒の在庫が目に見えて無くなって行った。 町の奥にある中華料理店「日本食堂」の焼飯は、常に「雁」乗員を集めた。 坂を上がって士官宿舎に向かう。 道側の立木に栗鼠(リス)が遊んでいる。 また「戦争さえなければ」 と思う。 垣根に色とりどりの小鳥が囀る。

 沖縄出身の士官宿舎のオバさんは言う。
 「私の娘だけは、清く育てて結婚させたい。」
 私はオバさんの前半生を聴くのに約1時間を要した。 ご主人は独逸人で、前の大戦で青島で捕虜となり、四国に一時収容されたが、日本人の温情深い取扱いに今でも感謝している。 遂に祖国独逸には帰らず、この地に留まったという。 しかし私はこのご主人にも、教養深いというその娘さんにも、遂に会う機会はなかった。

 また、サバン島の東方マレイ半島のペナン基地にも入った。 ここはマラッカ海峡西口を守る要衝でもある。 艦橋の膝の上に斉藤著「海戦」を開きながら、入港準備作業の傍ら、周辺の防備を見る。 過ぐる第一次大戦の独巡洋艦「エムデン」艦長フォン・ミューラー中佐のペナン湾奇襲の項を読む。 兵器は進歩しても、これを運用する人間に、果してどれだけの進歩ありや?

 上陸して英国人の造ったこの美しい避暑地に遊ぶ。 例によって髭の航海士と共に某陸軍大佐に願い出て、英国が残して行った競馬用の駿馬を借りた。 航海士のは体格の良いスマートな馬であったが、私のは少し小型で片目であった。 2頭とも広々とした無人の競馬場を風のように走った。 馬たちは全身汗となるまで存分に走ったが、私たちは軽く汗をかいた。 「我々もどうやら一人前だね。」 と言って笑ったが、戦を忘れるにはもってこいのスポーツであった。

 町には、すでに元気のよい日本人たちが沢山進出していて、日本人会の活動も始っていた。 かつて訪れた北米カリフォルニア州の県人会を想い、またハワイの知人を想う。 敵国にある懐しき皆様方よ、今いかが、切にご無事を祈る。
(第6話終)
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