2008年10月27日

『聖市夜話』(第4話) 監獄島の据え斬り

著:森 栄(海兵63期)

 17年の4月、日本艦隊が印度洋を一掃して、所在の英空母「ハーミス」以下全艦船を総なめにしてからあと、連合軍はカルカッタにB24重爆隊を配備して、日本艦隊の次の出現に脅え洋上哨戒を厳にしていたが、その哨戒区域と私の艦の哨戒区域とは重り合っていた。 したがって、そのド真中にある基地ポートブレヤは、敵がいつ来襲するかわからない、危険極りない基地でもあった。 艦長申継になかったところから見れば、私が着任したあとで戦局がそうなったものかもしれない。 特にこの監獄島には、スパイがいることも我に不利であった。

 そして敵にしてみれば、日本海軍の西第一線をウロチョロする唯一の高速艦がさぞ生意気に見えたであろう。 空から見れば、高速艦であることは直ぐわかるし、12糎主砲3門、魚雷発射管1基も目障りである。 また好個の爆撃目標でもあった。

 着任後の不眠症も消え、約1か月経った17年11月、私はポートブレヤに帰ってきた。 そして今日、敵がもしこの基地を爆撃するならば、先ず第1に司令部、その次が在泊艦船であろうと真剣に考えた。 入港して大きな軍艦ブイに艦首をとり、ご丁寧にも艦尾に振止錨を入れ、潮の具合に関係なく、常に全砲火が司令部上空を射てるようにした。

Portblair_S17_2s.jpg
(昭和17年頃のポートブレア)

 ちょうどこの時、新機関長が遠路はるばる日本から着任したので、私は行動報告に司令部に行く序に、新機関長を紹介しておこうと考え、2人は上陸し、照りつくような太陽と椰子の木茂る海岸ぞいの道を、迎えの自動車で司令部に向かった。

 司令部までは約4キロあったか、司令部の近くまで達した時、突如として空襲警報、轟々たる爆音、打ち上げる高角砲の音を耳にした。 車を道路際に止めて上空を見たが、私の予想はスッカリ裏切られ、司令部は安泰、敵B24重爆6機はこともあろうに、私の艦の上空を旋回しながら次々に投弾し始めているのではないか。 私はびっくり仰天、車を反転し今来たばかりの道を急がせた。

 桟橋近くになると、マッチ工場から逃げ出してくる印度人の群衆が、皆空を見上げながら私の車にぶつかってくる。 こちらも負けずに警笛を鳴らす、爆音、爆弾炸裂音、発砲音でかき消されて、印度人は次々にぶつかってくる。

 艇長不在中万一沈没でもされては申しわけがない。 それに艦は艦首と艦尾を地球に縛られている。 我が子が手枷足枷のまま、数名の敵に据え斬りされているようで、痛ましさに堪えない。 まともに直視できたものでない。

 「頑張れ“雁”!」を心に連呼しながら椰子の葉陰を覗く。 「アッ! 沈没か、大破か、沈没か」と思うこと数度、弾着は全部300メートル以内の至近弾、弾着ごとに日本海々戦の図に見るような大きな水柱で囲まれ、船体はもとより艦橋煙突マストの見えなくなることもしばしばあった。

 後方を見上げながら車にぶつかってくる路上の群衆。 これを必死になってかき分けて進む運転員。 道路上にさし込む強烈な陽光。 ようやく車は桟橋についた。

 艇長迎の内火艇は、爆弾の弾着ごとに狭い海面に起こす波で、桟橋の横でグラグラ揺れている。 私と機関長は飛び乗り桟橋から放す。 残敵はまだ上空にある。 私は覆いケンバスから上半身を出し、内火艇の艇長に避弾の針路を叫ぶ。 しかし、これが最後の投弾であった。

 舷梯を駆け上がってみれば、上甲板も上部構造物も露天甲板の戦闘員も全身海水でズブ濡れで、あたかも今海中から潜り出たような有様。 皆出てきてニコニコしながら、全然濡れていない艇長を迎えた。

 海底から打上げられた岩石で、前甲板に直径約10センチの凹所1か所、それに中部機銃員石飛一水軽傷(海底から打上げられた岩石により眉間に軽傷出血1か所)、これが直ぐ判明した被害であった。 石飛君は幸運児としてみんなから祝福された。

 敵の爆撃高度約8,000メートル、約250キロ爆弾約24発と推定され、これが全部至近弾に終った。 遅動着発信管であったので、水深約20メートルの岩質の海底にて爆発し、大きな水柱をあげたものと推定されたが、これが1発でも命中していたならば、確実に行動不能に陥ったであろう。

 しかし船体が下から持上げられたため、全重油庫は艦内に漏れ、主砲、機銃、大型双眼鏡等の旋回軸に故障が生じ、修理のため後方約1,000海里のシンガポールに行くこととなった。 昔、造船術で教わったが、重油庫などのような艦内の区画は、外鋲より内鋲を弱くしてあり、重油庫の油が例え艦内に漏れることがあっても、艦外には漏れにくくしてあることが如実に教えられた。

 これが私の、誠に恥しい初陣となってしまったが、私のほかにもう1人、しかも私よりあとで、同じく総員監視の中を、恥しそうに帰艦した士官があった。 釣り好きの彼(掌水雷長堀田特務少尉)は大物を釣り上げて、その日の夕食を賑わそうと考え、隣りの軍艦ブイの上に座り込んだ直後、大物は空から落ちてきて、振り落とされないようにブイにシガミつくのに精一杯で、これまた全身ズブ漏れで帰艦したが、その恐怖を語って皆から大いに冷かされていた。 ブイの上では名誉の戦死もできない、恐らく私以上に怖かったことであろう。

 「雁」の主砲は最大仰角55度で、対空弾も搭載していたが、この日のように直上に旋回されてしまうと、真上が射てなくて困ったものであったが、これは狭い港内のことであって、視界の広い洋上においてはなかなかに頼母しいものであった。

 結局、敵の拙劣な爆撃精度が私の艦を救ってくれたようであったが、その後のニューデリーの日本語放送は、「本日ポートブレヤで駆逐艦「雁」を撃沈しました」と放送した。 「雁」では駆逐艦に進級したとて、進級祝をしようかといって笑った。

 この日、「雁」入港をカルカッタに知らせた陸上スパイたちは、「雁」が修理のためシンガポール向け出港した後、衛兵副司令の機敏な行動によって一網打尽に逮捕されたが、これがまた終戦後の悲壮極まりない戦犯問題の発端となったのである。
(第4話終)
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