2008年10月24日

『聖市余話』(第1話) インド洋への赴任

著:森 栄(海兵63期)

 親愛なる西山編集室長のご要望に応じ、南半球ブラジル国サンパウロ市から、昔の思い出を綴り、後進のご参考に供します。

 私の戦時経歴は、開戦時兵学校教官、17年9月印度洋西第一線の「雁」水雷艇長、18年6月横須賀の水雷学校高等科学生、同10月南西太平洋で船団護衛専門の「朝顔」駆逐艦長、19年5月少佐、20年6月上海根拠地隊参謀、翌年4月博多に上陸、復員であります。

 この間印度洋は新米艇長試練の巻で、この試練と水校学習のお陰で、「朝顔」20ヵ月の間は名馬「朝顔」の巻で、合計44回の船団護衛に参加し、その内18回は船団部隊指揮の体験をいたし、名馬「朝顔」は実によく走り私ども乗員を守り抜いてくれ、終戦時の数少い健在艦の一隻として残りました。

 「朝顔」は私の前の大西勇治艦長時代に、合計50回の船団護衛に従事しておりますので、開戦から終戦まで総計94回の護衛を果したことになり、20年5月2日最後の船団を門司に入れ終った時、同地の第1海上護衛艦隊参謀から、「日本の重油は少なくなった。以後タービン艦は使わない。「朝顔」は瀬戸内海でB29投下の機雷監視に当れ。」 と言われた時の、“戦い尽した” という感激の思い出は、28年後の今日、身は異邦に在っても今なお新鮮なものがあります。

 ただ今、伯国東京銀行に勤務中ですので、帰宅後、るるとして順を追って当時の思いでを綴って行くつもりですが、何かのご参考になれば幸であります。

 なお日本出発時、急ぎ書き残した「海上護衛戦の所見」 は、戦史室47年3月 「海面防備史料別冊第2」 に掲載の栄に浴しましたので、必要の方は併せてご覧下さい。 また、戦史叢書の海上護衛戦の607頁にも一部が載っております。

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 16年12月開戦以後、私達若い教官は 「先生をするために海軍に入ったのでない。お礼奉公はこのくらいにして、1日も早く晴れの第1線に出して下さい。」 と毎日毎日お願いを繰返した。 生徒隊監事松原大佐は笑いながら言われた。 「気特はよくわかるが、この戦は長くかかりそうだ、あまり狽てるな。」 しかし、私たちは戦争がこのまますんなりと終ってしまったら、松原大佐をいくら怨んでも、一生の不作を取戻すことはできないと思った。

 ミッドウェイ海戦も終り、17年8月51日、第72期生徒の運用術教務を終って教官室に帰った私に、生徒隊付監事であった級友魚野大尉は告げた。 「貴様良かったな。9月10日付「雁」水雷艇長の内報だよ。貴様が一番早かったな。」と言って彼は我がことのように喜んでくれた。
 しかし、人事局からの内報には次のオマケが付いていた・・・・「君のクラスにはちょっと早いようだが、君が失敗したら君のクラスは当分艦艇長に出さない。そのつもりでしっかりやりたまえ。」
 これも魚野から聞いた。 えらいことになった。 クラスの重責を負っているのか、と体中が緊張した。 私は11年3月卒業後、「八雲」「五十鈴」「日向」「疾風」「熊野」「鵡」「八雲」「山城」というふうに、水上艦艇の勤務を休みなく続けていたし、特に同型の水雷艇「鵠」も体験していたので、年は若いがやって見せるぞという自信はあった。

 そのうち、赴任先はラングーン(現在のヤンゴン)と分った。 えらい遠い所だなと思って、運用科、航海科の先輩教官達に聞いて回ったが、誰も知っている人はいなかった。 ある教官が参考として話してくれた。 「あの河は河幅が狭くて流速が強いから、噂によれば艦首を岸に当て、機械を使って強引に艦尾を河上に向け、後進で艦首を抜いてから出港せにゃいかんらしいぞ。」と言う。 私は「鵠」でもこんな芸当はやった経験がなかったので、この話は10月5日の艇長交代の時まで頭にこびりついていて、赴任途中の機上でもラングーン出港要領についてあれこれと心配を続けた。

 発令は9月10日だったが9月7日出発は許された。 私は真先に、しかも西方遠か印度洋の第一線に、更にクラス第1号の初の艦艇長としてこれ以上の武人の本懐はないと、“寝刃” を起した2尺3寸5分の愛刀、“肥前国一文字出羽守行廣” を手にして、2年間お礼奉公をした懐しの江田島を後に赴任の長途についた。

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( 『海戦』 斉藤忠著、海洋文化社刊、昭和17年7月初版 )

 博多、上海、台北、海口、三亜を飛び石沿いに南下、サイゴン着。天候の回復を待つこと2週間、この間同市内で 斉藤忠著 「海戦」 を買う。 同書は以後私の戦場における良き教官となったが、遂に18年2月ラングーン対空戦闘にて、血染めの海戦記となり、「雁」時代の最も貴重な遺品として、今ブラジルの地に同行している。 10月1日天候回復、サイゴン発、バンコック経由、同日ラングーン着。 川縁のガランとした水交杜にて電波世界に飛ぶ短波ラジオを聴きながら待つうち、4日「雁」入港、5日着任、5つ年上の福山強前艇長から引継ぎを受けた。
(第1話終)
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