本家サイトのご来訪80万名達成を記念して、その感謝企画第1段としての 平成7年に呉地方総監が出した 「阪神・淡路大震災に伴う災害派遣詳報」 (呉監防3第872号別冊) の全文を公開 しました。
https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/22_Hanshin-Awaji_JMSDF_Detail-Rep_H07.html

この阪神・淡路大震災に伴う海上自衛隊の災害派遣の具体的な詳細については、いまだに海上自衛隊、と言うよりは海上幕僚監部からは、本文書も含めて何ら公開されたものはなく、ただ 「海上自衛隊50年史」 の中で僅かに災害派遣を行ったことが簡単に記されているだけです。
https://navgunschl.sakura.ne.jp/omoi/hanshin-awaji/50yr_06_04_03.html
国民の生命、財産を守るために国民の税金を使っているにも関わらず、あの阪神・淡路大震災に伴う災害派遣で海上自衛隊は何をしたのかについてその詳細を全く説明してきておりません。 その説明責任を認識せず、かつ義務を放置してきたと言えるでしょう。
そして、海上幕僚監部の体質、その “制服を着た能吏” たる業務遂行ぶりからすると、今後ともこれが改善され、本文書に述べられたような具体的かつ詳細なものが公開されるとはとても考えられません。
私は1月17日の発災後から海上幕僚監部に転出する3月23日まで呉地方総監部防衛部第3幕僚室長として、そして呉地方総監加藤武彦海将を指揮官とする海上自衛隊災害派遣部隊司令部作戦幕僚として勤務しました。
派遣部隊司令部が神戸の阪神基地隊から呉地方総監部に戻った後に一人阪神基地隊に残った私が、神戸市長からの神戸市に対する大規模給水支援の終了確認証をもらって呉地方総監部に戻りました。 ところが、私を待っていたのが海上幕僚監部への転勤でしたので、転出までの僅かな間に本資料の下書きを書けるだけ書いて残しましたが、ほとんどそれに沿って纏められ、かつ諸データが追加されて立派なものに仕上がっていると思います。
本資料の公開は、当時の海上自衛隊災害派遣部隊の司令部作戦幕僚としてその 災害派遣活動の全容を明らかにするとともに、災害派遣に参加した全隊員に対してその労をねぎらうためのもの です。
そして もう一つは、災害派遣終了後に病死した故中村将君に捧げるためのもの です。
中村君は私と候校同期で、呉監部防衛部第2幕僚室長として1年間一緒に勤務し、そして阪神・淡路大震災に伴う災害派遣では司令部の情報幕僚として大活躍をしてくれました。 それは本資料をお読みいただければ、彼の活躍があってこそ海自の災害派遣の業務が上手く行き、その活動、特に神戸市に対する給水支援が適切に実施できたことがお判りいただけるかと。
しかしながら、彼は災害派遣終了直後に体調を崩して入院し、あっという間に逝去してしまいました。 これは災害派遣での激務によるストレスの積み重ねがその引金となったことは火を見るよりも明らかですが、何故か海上幕僚監部はそれを認めようとしませんでした。 私達からすれば、間違いのない災害派遣の激務に伴う “殉職者” なのですが。
この2つが、今回本家サイトにおいて私が本文書を公開する目的です。
元資料を 一つのPDF形式にてその全てを公開 いたしますが、残念ながらご存じのとおりのネット事情により印刷及び加工については不可の設定としております。 全文をそのまま公開するのは本来海上幕僚監部の責任でであり国民に対する義務すので、私がそれを肩代わりするつもりはありません。 もし研究者の方などで印刷可能バージョンなどのご希望がございましたら掲示板又はメールなどでお聞かせ下されば考慮いたします。
勿論、公開いたしますファイルは、このままの形でしたら再配布などはご自由になされて結構です。
なお、平成12年になって海上幕僚監部の教育課から「参考事例集(第2刊:阪神、淡路大震災特集 『阪神、淡路大震災出動』」なるものが出されましたが、その中の証言者では加藤呉総監、仲摩阪神基地隊司令、それに当の海自災害派遣部隊司令部幕僚長としての川村呉監防衛部長の3者はともかくとして、その他の人選は海幕教育課が適当に選定したものです。

そしてその上で、「指導上のねらい」 などと笑止千万、チャンチャラおかしなことを上から目線で述べているのです。 当時、海幕教育課員などただの一人も現場に来て災害派遣の実態を見てもいないにも関わらず、です。
“制服を着た能吏” のやることというのはこんなもの、という典型の一つでしょう。 口先ばかり達者で点数稼ぎが上手い、という。