JR新長田駅南側を始めとして、神戸の長田地区は震災による被害に加えて、それに伴っての火災により甚大な被害と犠牲者が発生しました。
ところが、です。 発災から2週間も経っていない、まだ不明者の捜索なども引き続いていた時に、神戸市から突然として長田地区の復興計画なるイラスト入りのそれは立派なものが早々に出されました。
私達司令部一同はこれを見て 「何だこれは、こんな時期に、それもこんなに早く。 震災によるとはいえ、これ幸いにとこの街の壊滅をまるで今か今かと予め待っていたかのような」 と。
被災した一帯は今では見事に再建されましたが ・・・・
神戸市役所・長田区役所などと当該地区一帯とは以前からこう言う関係だったのかと感じた次第です。
そしてこの長田地区に関連してもう一つ。
当該地区の火災が一段落した時、管轄する警察署などに身元不明の焼死体が百体以上、110〜120体ほどだったかと、が置かれているとされていました。
当時のマスコミなどで公表される震災による犠牲者や不明者の数は、住所や氏名などがはっきりしてどこの誰と判っている人の数とされており、この身元不明の焼死体の方々の数は含まれていませんでした。
その後現在に至るまで、このご遺体の数は震災の公式記録上一体どうなったのでしょうか ?
(続く)
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