2023年01月29日

阪神災害派遣の思い出 (8)


これはいつのことだったのかは確かな記憶がありません。

阪神基地隊には屋内温水プールがあり、以前から宝塚音楽学校のお嬢さん達も冬場の体育の一貫として利用していました。

ところが震災によってこのプールに亀裂が入って水が抜けたために使用できなくなってしまいました。

そこである日、この宝塚のお嬢さん達が慰問を兼ねて阪基を訪れてくれた時に、帰り際にこれまでのせめてものお礼にと阪基の隊員にコーラスを披露してくれました。

ただ私自身はこのお嬢さん方の制服姿にお目にかかれず、かつこのコーラスも聞けなかったので、今思っても返す返すも残念なことであったと。


また、司令部が阪基に進出して2週間くらいした時であったと思います。 大阪の 「とうばく演芸隊」 (だったと記憶) という吉本の若手芸人さん達のグループが慰問に訪れてくれ、そして何と驚くことにビール缶 (カナダのラバットと言う銘柄でした) の100ケースをプレゼントしてくれました。

嬉しかったですねえ、寝る暇などほとんど無いほど忙しく心身共に疲労が溜まっている時にこう言う激励の心遣いは。

1ケースは司令部の各人が夜中に休憩する時に1本づつ頂きましたが、残りは全て派遣部隊に配るようにと指示を。


ところでその一方で、我が海自の海幕などはもちろん、海自OBの元高級幹部達が大きな顔をしている水交会などはどうだったのか ?

期間中に一度 (2月1日) 海上幕僚長による司令部視察がありましたが、文句・お小言ばかりで “ご苦労さん” の一言も無し。 水交会はと言えば、海幕に激励に訪れたとか言うことを伝え聞きいてはおりましたが、誰一人として実際に神戸に顔を出すことは無く、もちろん激励・慰問の差し入れなどが届くことも一切無し。

司令部幕僚の一人として、一般の方々による様々な温かい激励の心遣いをいただく一方で、部内関係者はこれなのか、と派遣部隊総員に対してこれ程恥ずかしい思いをしたことはありません。

(続く)

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posted by 桜と錨 at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと
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