2023年01月24日

阪神災害派遣の思い出 (4)


災害派遣が始まって直ぐに、私達派遣部隊司令部の幕僚には事前の連絡も調整もないままに、海幕の指示によって全国の部隊からありったけの非常用の缶詰や乾パン(ビスケット)などがどんどんと送られてきました。

それらの中で小松島航空基地や徳島航空基地などに空輸で集積されたものでは、缶詰は受け取った市民が開ければそのまま直ぐに食べられるように両基地で煮沸して神戸へ、ということに。

ところが、当然ながらそんなに大量のものを一度に煮沸できるような設備はありません。 がしかし、急いで急いで、との矢のような催促と厳命。

そこで、何と苦肉の策として高温にした浴槽に数時間漬けて、半煮えの状態で神戸へ送ったものがあったとか。

(その後、小学校などへの給食を請け負っていたところの支援が得られることになり、そこへトラックで運んで煮沸して貰うこともあったようですが。)

これらのものはグランドなどを利用した臨時のHS離発着場 (場外離着陸場) の物資集積場に空輸された他、輸送艇などの小艦艇で運ばれましたが、その後どうなったのかは ・・・・


派遣で来援する艦艇も毛布を始めとする可能な限りの支援物資を積んで来ましましたので、神戸市や芦屋市など希望するとことろに配布することになったものの、これらの中の非常用缶詰については、手を挙げてトラックで取りに来たのは肝心な神戸市ではなく西宮市のみでした。

その西宮市でも、これを受け取った後その後どうなったのかは ・・・・ 知りません (^_^;

(続く)

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posted by 桜と錨 at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと
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