海自補給艦による岸壁での市や企業などの給水車への給水と共に、海自給水車の巡回や各桟橋などでの在泊艦艇によりペットボトルや水タンクなどを持参する市民に対する給水支援が本格的に行われていた頃です。
阪神基地隊のある魚崎浜から奥に入った青木フェリー・ターミナル桟橋 (新明和工業の工場の近く) に横付けした15掃海隊の掃海艇が市民に対する給水支援を行っていました。
(掃海艇による市民に対する給水支援)
給水場所を桟橋の掃海艇の舷門脇に設置して、夜間も24時間体制で対応できるように待機していました。
ある寒い日の夜のこと。 お婆さんが小さなお孫さんの手を引きながら歩いてやって来ました。
ところが、そのお婆さんは
「兵隊さ〜ん、寒い中大変だねえ、ご苦労さん」
「少しだけど、これ飲んでね」
と家で温めてきたらしいコーヒー缶を数本差し出したそうです。
舷門当直員達は寒い夜にわざわざ温めたコーヒー缶を持って歩いて届けに来てくれた心遣いに感謝し、ありがたく頂戴して、
「ありがとうございます。 頑張ります。 お婆さんも気をつけてお帰りください。 寒いですからお孫さんも風邪などひかないように。 お水が必要な時はいつでも来て下さいね。」
翌朝この話しを聞いた司令部では皆が感激です。 こういうことがあるからこそ、それは災害派遣に対して他のどんなことよりも私たちが報われる、何ものにも代え難い最高の栄誉だ、と。
文字通り皆が不眠不休での災害派遣ですが、それが本当に市民の方々の役に立っているのだと実感できる出来事の一つでした。
ある時、海上幕僚長から派遣部隊指揮官である加藤呉総監に電話があり、「テレビでは陸自がトラックごと全てに “災害派遣実施中” の大きな幕を掲げて走っとる。 海自ももっとテレビに映るようなことをやれ」 と言われたそうですが、翌朝の司令部の定例会報の時、総監は私達に
「俺はそんなチンドン屋みたいなことはことはやらん。 港に白地に赤の自衛艦旗を掲げた灰色の船が並んでいる姿を市民に見せるだけで十分だ。」
「我々は真に市民の役に立つことを淡々とやる。」
と言われ、実際そのとおりに実行されました。
こういう指揮官こそが、部下はどんなに苦しくとも全幅の信頼を置いて従っていく頼もしいもの、と感じた次第です。
(続く)
=================================
次へ : (3)
http://navgunschl.sblo.jp/article/190132343.html
前へ : (1)
http://navgunschl.sblo.jp/article/190118840.html