今書いておかないとこの後二度とお話しすることは無いかもしれないと思いまして、この機会に28年前の阪神淡路大震災の発災当日から海上自衛隊災害派遣司令部の一員であった当時の思い出をいくつか。
阪神淡路大震災における海自災害派遣部隊の主任務が第1段階の人命救助・不明者捜索から第2段階の神戸に対する海上からする給水支援と陸自派遣隊員に対する在泊艦艇による宿泊支援に移った頃です。
それは、冷たい雨が降るある寒い夜のことでした。
さる岸壁に停泊して陸自派遣隊員の宿泊支援に当たっている某艦の当直士官から派遣部隊司令部に電話が入りました。
「小さなお子さんを連れた家族5人が入浴させて貰いたいと岸壁に来ているのですが、どうしましょうか?」
この頃には各地の避難所で陸自による入浴施設による支援が本格的に始まっていましたので、原則として神戸市民の方々には近くのそれらを利用していただくことになっておりました。 また、市や区などでの広報でも盛んにそのように流されていたのです。
で、電話を受けた私は、
「雨が降る中、もう舷門まで来ているのだろ? 艦内は陸自隊員で一杯で通路にも雑魚寝姿が溢れていることと次からは避難所の入浴支援を利用してもらうよう親御さんに丁寧に説明した上で、一家には科員浴室ではなく士官浴室を使っていただくように。 状況を見ながら臨機応変な対応を頼む。」
岸壁で陸自派遣隊員の宿泊支援を行っていた各艦艇では、いずれの浴室も陸自隊員が24時間いつでも使用可能な状態としていましたので、某艦は士官浴室を一時的にその家族専用とし、入浴後は士官室で飲み物を出して暫し休憩してもらってからお帰りいただいたと後で聞きました。
真意をよく理解してくれ、一家に対する接遇を適切に行ってくれたようです。
災害派遣では、大規模な人数での様々な業務の遂行と共に、こういう市民のためを考えた小さなことの積み重ねが大事だと思っています。
翌朝、指揮官たる呉総監や幕僚長役の防衛部長に報告した上で、派遣部隊司令部の会報時の出席者にこの 「市民のための臨機応変できめ細かい柔軟な対応の実施」 の必要性を強調し、各部に伝えるように言いました。
海自災害派遣部隊の皆は長期間にわたり全員大変よくやってくれました。
少なくとも私が知る限りでは、この時の災害派遣で、海自に対する市民からの苦情などは一件も無かったと聞いています。
(続く)
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