2023年01月17日
今年もあの日が
阪神淡路大震災が発災して28年目の日が巡ってきました。
毎年書いておりますが、あの日からのことは、私にとっても一生忘れることの出来ないものです。
発災の朝、官舎で隣に寝ていた家内に今地震があったよと起こされてすぐテレビをつけましたがほとんど状況が判らないことから、家内に “ちょっと総監部に行って様子を見てくるわ” と家を出てからそのまま48日間戻らず。
翌々日、呉地方総監の決心により私達海自災害派遣部隊司令部は現地に進出し、半分壊れかかった阪神基地隊庁舎で、呉監防衛部の幕僚を主とした僅かな人数で一人何役もこなしつつ、椅子に座ったまま2〜3時間の仮眠がとれるかどうかの日々が続きました。
そして、阪基所属部隊や集まってきた海自派遣部隊の隊員一同と一緒になって、出来る限りのことを一生懸命やったつもりです。
それでも、もっと一人でも多くの人を助けられたのではないか? もっと多くの事ができたのではないか? といつも思い続けています。
あの大震災で、お亡くなりになられた方々、被害に遭われた沢山の方々のことを思うと、発災の日から48日間、現地に進出して46日間災害派遣に携わった者として、そう思わずにはいられません。
震災でお亡くなりになられた多くの方々のご冥福をお祈りしますと共に、被災された沢山の方々のご多幸をお祈りいたします。
そして、今では見事に復興した神戸を中心とする阪神地区ですが、今後も益々発展して行きますことを祈念して止みません。
頑張れ、神戸 !
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阪神淡路大震災の前年の11月6日入院し、毎朝聞こえてくるNHKの朝のドラマの主題歌が「春よ、来い」ドラマは見ていないので良く分かりませんが、主人公の女性がパイロットになるような内容だったと思います。
そして、筑波の医師が妻子を殺害したニュースが盛んに流れていた時期でした。
えっ、交通事故で2ヶ月以上も入院ですか。 それは大変でしたね。 後遺症は残りませんでした?