海上自衛隊における個艦の操艦・運動法については、私が 『操艦三部作』 と名付け、かつ私が操艦法についての教科書とした、故伊藤茂氏により極めて具体的にその機械・舵の使い方を示した 『操艦日記』 、『操艦の記録』 及び 『艦艇長勤務参考 (その2)』 という素晴らしいものがあります (ありました) ことは既にご紹介したところです。
そして、操艦についての一般的な事項を示した旧海軍からのものを何度か改訂してきた 『操艦教範』 などが刊行されております。
旧海軍においても、海上自衛隊の初期においても、“まずは立派な船乗りたれ” ということが強調され要求され、また事あるごとに厳しく躾けられてきたものです。
このため若年士官・幹部のときから操艦・運動法については口うるさく指導されてきました。
しかしながら、どうもこのところの海上自衛隊では、艦及び艦隊部隊における操艦・運動法などは等閑視され、かつ “制服を着た能吏” としての出世には重要視されていないと思わざる点が多々見られます。
その良い例が、先日行われた国際観艦式です。 如何に外国艦艇が混ざっているからと言って、キチンとした単縦陣の陣形維持さえ行われておらず (維持法さえ知らず、指示もされていない ?)、陣形はグニャグニャであり、対艦距離でさえバラバラであったことは、数多くの写真で皆さんもご覧いただいたとおりです。 私に言わせると、ちょっと恥ずかしい。
“艦 (艦隊) の威容” を保つということは、旧海軍からのことの極めて重要で喧しく言われてきた伝統精神の一つですが、そのようなことは “制服を着た能吏” には関心が薄いようです。
その証拠に、冒頭に示した 『操艦三部作』 などは私がコピーをとった時以降見たことがありませんし、これに替わる新しいものが海上自衛隊で作られ、配布されているとは聞いたことがありません。
ましてやその 『操艦三部作』 以前の海上自衛隊創設期における操艦・運動法についての史料については、いったいどこにどれだけ残されているのか ???
ということで、この今では幻ともいえる海上自衛隊創設期の史料をご紹介することに。
まずは、個艦における操艦・運動法についてです。
昭和28年に警備隊術科学校が教育用に作成した 『操船法教科書』 で、海軍兵学校の航海術教科書を元にして井上団平二等警備正が編纂したとされています。

もう一つは同じく昭和28年に警備隊術科学校が作成した 『操船法講義案 (甲種高等科学生用)』 で、同じく井上団平二等警備正が編纂したとされています。

前者は、舵や推進器の作用を始め、運動力検測、単艦での操船などの基礎について解説したもので、また後者は前者を理解した上で、出入港や横付け、編隊中の操船などについてその基本を纏めたものです。
そして、当時は “まずは米海軍に習え” という時代でしたので、米海軍の資料を元にその米海軍での基礎を教えていました。
一つは、昭和29年6月の警備隊時代に警備船 「くす」 が航海術科担当として出した 『駆逐艦操艦参考』 で、これは 米海軍の 『 On a Destroyers Bridge 』 を翻訳したもの。

もう一つが、昭和29年9月に海上自衛隊術科学校が出した 『駆逐艦操艦参考書』 で、米海軍の 『 Ship Handling Destroyers 』 を翻訳したもの です。

これら日本側が纏めたものも米海軍資料を翻訳したものも、いずれも私の現役中にコピーしたもの以外では見たことはありませんし、また退職するまでの現役時代の間に他から聞いたこともありませんので、今では果たして海上自衛隊に残されているのかどうかは判りません。
これらの史料についても、キチンと整形とゴミ取りをして公開してもよいのですが、とても時間と労力がかかりますので ・・・・
どなたかこの古い史料の公開に向けてのこれらの作業にスポンサーとなっていただけるような方はおられませんかねえ。
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