最近になって、海上自衛官の帽章のデザインなどが少し変わったようですが ・・・・
もう半世紀も前のことですが、私達が江田島の幹部候補生学校に入校した時には、海上自衛隊の服装規則の改正に伴い、それまでの “チェリー・マーク” と呼ばれる桜花型の金属製の襟章から、現在まで続く冬制服の袖章、そして夏服の肩章に変更になりました。
ところが、です。 当時の官品で支給される制服類は極めて劣悪な質のものばかりでした。 特に、夏服の詰襟 (当時の第2種、現在の第1種) や半袖 (当時の略衣、現在の第3種) などは生地も仕立てもそれは酷いもので。
これから海上自衛隊の幹部になろうかと意気込む候補生にとっては、自尊心を汚されるというか、とてもではありませんが着る気になるようなシロモノではありませんでした。
そこで、私は候補生学校に入校して直ぐに制服一式を全て業者さん仕立ての自前のもので揃え、普段は官品は一切着用せず、これらを着ていました。 (分隊点検などの儀式では仕方なく支給の官品を着ざるを得ませんでしたが。)
そして、この官品の候補生肩章も制服と同じく極めて劣悪なものでしたので、業者さん特製(= ニセ) のものを購入して普段はこれを着用していたのです。
( 関門大橋開通直前の見学にて 既に帽子の顎紐は変色 )
ところがある日、これが官品を着用する他の候補生と比べて余程目立ったのか、幹事付に目をつけられてアウトに。 学校側から着用禁止のお達しまで出てしまいました。
お粗末な官品のものより遥かに見栄えのするものではありましたが ・・・・
ちなみに、当時の規則では幹部 (候補生を含む) に対する制服の官品支給は最初の1回のみとなっていました。 そして、定年退職時に返却の必要がありませんでしたし、幹部には被服点検の様なこともありません。
したがって、作業服代わりにもならない粗悪な官品の夏服類などは以後二度と着るつもりはありませんでしたので、持っていても邪魔になるだけですから、全てを候補生学校卒業の前の日に赤煉瓦の外にある可燃物集積用のごみ箱に捨てました。
確か心ある同期数名も同じだったかと。 勿論、記名の布と金属製ボタンは外して。
候補生時代の夏服の詰襟には苦々しい別の出来事もあるのですが ・・・・
しかし第3種夏服(支給数1)は夏に広報があれば着替えが必須ですし、作業服=陸上戦闘服(青迷彩)はいまだに私物が共済組合の受注生産(そのかわり仕様は同一)しかない状況です。
青迷彩、大好きなんですけど色落ちが激しいので・・・・・
平成になって幹部も被服交換ができるようになった頃から官品の質も大分良くなってきましたよね。 ただし未だに品目は限られており、服装は自前が建前であることは変わりませんが。