2022年10月16日
『操艦日記』 原紙
私が現役の時に師と仰いだ故伊藤茂氏の著書で 「操艦三部作」 と名付けている一つに 『操艦日記』 がありますが、これは昭和42年に海上自衛隊第1術科学校の研究部が出している 「研究期報」 の別冊として製本、印刷されて部内に配布されたものです。
これは伊藤茂氏がPF 「けやき」 及び護衛艦 「おおなみ」 の艦長時代に、その時々の各地の港への出入港時の操艦について記録として残したものですが、この 『操艦日記』 ではその内で本人が “あまり上手く行かなかった” 時の反省部分を抽出してを採り上げています。
この 『操艦日記』 は、図については元の手書きのまま、本文だけをタイプし直したものですが、昔私がこれをコピーして操艦法の教科書として活用したものは大変に見難いもので、そのままでは公開用とするには整形とゴミ取り、特に後者には多大な手間暇がかかります。
この度ご親族のご厚意により故伊藤茂氏の遺された資料・史料を少しお借りして整理を始めましたが、この中にこの 『操艦日記』 のトレース紙の手書き原稿一式がありました。
う〜ん、これをスキャンしたものと、1術校のリタイプ印刷版のコピーとどちらがゴミ取りが少なくて済むのか ・・・・?
そして更に、この 『操艦日記』 の元となった 「けやき」 と 「おおなみ」 の操艦記録のそれぞれ全てが罫紙の裏を使った手書きで遺されております。
『操艦日記』 はこの2つからのいわば抜粋ですので、本来ならばこの両艦での記録の全てを一つにした方がはるかに良かったのですが、研究季報別冊という紙面の制約上致し方なかったものでしょう。
とはいっても、『操艦日記』 そのものが今となってはどこにどれだけ残されているのか判りませんし、1術校研究季報版をその後海上訓練指導隊において艦艇長講習の参考資料としてそのまま増刷したとされていますが、詳細は不明ですので、『操艦日記』 及び 「けやき」 「おおなみ」 の記録の全てをディジタル化して後世に残していく必要があるものと考えている次第です。
もちろんこの元原稿などは、例えご遺族から海自に寄贈されたとしても、結局そのまま倉庫に眠ってしまい、そしていずれ誰かの手によって処分されてしまうであろうことは十分にあり得ることで、それではあまりに勿体なく、かつ無駄なことでしょう。
さて、ご遺族には今後これらをどうするのがベターであるかをどのようにアドバイスすべきか ・・・・
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