2022年07月03日

伊33潜の沈没事故


暑いですね〜。 そして全くバタバタして日々余裕がありませんので、今週の本家サイトの更新はお休みします。

その代わりと言ってはなんですが。


旧海軍の伊33潜は、昭和17年9月にトラック泊地で事故により沈没し、これを引き揚げて呉に回航して修理したのち、昭和19年6月13日に伊予灘の由利島付近での急速潜航訓練においてまたまた事故により沈没しました

沈没時に司令塔から脱出した10名のうちの2名が救助され、残りの92名が殉職したことや、昭和28年になって船体が引き揚げられた際に、前部発射管室は浸水せずにその区画の乗員は清々として死を迎えたことが判明したこと、などはよく知られているところです。

そして、松山沖の引揚現場に近い興居島(ごごしま)(与居島)の御手洗海岸に慰霊碑が建立され、地元の篤志の方々により現在に至るも毎年事故日の6月13日に当該慰霊碑前で慰霊祭が行われているようです。

地元篤志の方々による慰霊祭などは全く感謝に堪えないところですし、前部発射管室の乗員の状況などは旧海軍として恥じるところのないものですが ・・・・

しかしながら、この事故そのものについては当の旧海軍潜水艦関係者としてはどのように見ていたのでしょうか?

戦後になってものされた旧海軍潜水艦の事故関係の一連の史料の中でも、「まったく何をやっていたのか」 「不注意による人為的な原因でまたまた90名以上の乗員を失ったのか」 というような、結構冷めた目であったようです。

I-33_sub_sunk_S19_s.jpg

いわゆる、当然払うべき注意を払い、かつ錯誤防止の措置をキチンと採っていれば、という結論です。

それにしても ・・・・ というところですね。

posted by 桜と錨 at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと
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